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五木寛之『戒厳令の夜』上・下

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この著の扉から最初の頁に一行「四人のパブロ」が同年に亡くなったというショッキングな出だしがあって、その四人とはパブロ・ピカソ、カザルス、ネルーダ、そしてこれは実在した人物を架空化したと思われるパブロ・ロペス。こんな偶然があるのかという驚きは読むうちにさほどのことではなくなるのだが、SF的だがその壮大な構想力に舌を巻く。

ナチス・ドイツ時代にヒトラー及びゲーリングがヨーロッパの美術品を強奪しまくり、アルト・アウスゼーの塩坑に保管し、リンツ美術館計画というヒトラーのかねての願望を実現すべく実行されたドキュメントが『ヒトラー強盗美術館』であると五木氏の『戒厳令の夜』上巻に記されている。
小説の方ではナチスが隠密裏にUボートで日本に移送し北九州の炭坑跡に秘匿されているという情報をもとに捜査する主人公等4人は、大量の武器と共に一枚の専門家が梱包したとしか思えない一枚の絵をみつける。が、日本に運ばれたとされる数多くの美術品のリストにあるそれらを見つけることは出来なかった。いったい誰がそれらを隠したのか。
ことは片山内閣時代に炭坑の国営化をはかった時代に遡る。それは国営化に反対した炭坑主等による疑獄事件に絡み策謀した一人の人物であろうと睨んだ元国士である老人と主人公が動き出すが、自白するところまで追い込んだもののその人物は老人と主人公等を乗せた車の帰途中交通事故にみせかけてなきものにしようと図る。元自衛官であった運転主がそれを予測し巧妙な運転さばきでその難を逃れた。そこに使われた車がグロッサー・メルセデスの改良車だ。
1973年当時という時代背景といい、ナチがらみの謀略といい、疑獄事件がらみの人物設定といい、はたまたチリのアジェンデ政権崩壊を企んだCIA等を含むアメリカの動きとも絡んで、主人公の探すパブロ・ロペスの絵画の行方を長年追い求めて日本に滞在していたチリのある女性の存在といい、謎が謎をよんで展開するストーリーは綿密な歴史認識に裏付けられたものであって、20年ほど前に読んだ時の記憶が曖昧になった今読み直して、こんなに複雑な設定であったかと驚きと感動を持って読み直した。
下巻にさしかかって物語は更に奇妙な人物を登場させる。古代の海人と山人の神話的歴史と国家の起こりに言及し、主人公は海人の末裔であり、恋人となる冴子という若い女性は山人の末裔であると告げ、古代から両者は助け合って国家にまつろわぬ武器ももたぬ自由の民であり、互いの絆のために選ばれた男女がまぐわうのを囲んで祭った習慣にならい、二人は生まれたままの姿となって結ばれる。
海人、山人の話は柳田国男等の民俗学者の著書である程度知っていた。奇妙な人物と言ったが廃屋化した社に住む水沼という穏志で、あらゆる自然の声を聞くことが出来る能力を持った老人で、「シャンカ」つまり漂泊の民「山窩(サンカ)」のことも語る。山家、山稼、散家などとも記すが、五木氏のこの小説を最初に読んだ時以来、この「山窩」に大変興味を持ち、ことあるごとにいろんな著書にその記述を求めたものだった。サンカといえば三角寛氏が独壇場なのだが、未だに三角氏の著書にあたっていないのは些か片手落ちではある。サンカは昭和になって常人と変わらなくなり消滅したことになっているようだが、古代から延々と受け継がれた存在として興味を抱かずにはいられなかった。
更に自然物の声を聞くことが出来る能力というのは、古代人が本当に持っていた能力であることは、ジュリアン・ジェインズの分厚い著書『神々の沈黙』を読んで知った。動物行動学から人間の意識の探求に踏み込んだ研究者である。確かこれ一冊を遺して亡くなった筈である。古代人は右脳と左脳が分離して、右脳で神の声を聞いたとされ、それが左脳との連結作用によってその能力を人類は失ったという説である。今で言う統合失調的な脳の働きで、統合失調は幻聴、幻覚の障害が病理的に知られているが、本居宣長などによると古代人が「カミ」と名乗ったものは自然のあらゆるものに適用されていた。たとえば山、草木、海などもそれに含まれる。山岳信仰などといえばぴんとくるだろうが、「ヤマ」そのものが畏れ尊ぶ対象で、多分古墳の形状はその「ヤマ」に喩えられたのではないだろうか。

こうなってくるとこの小説は古代ロマンにまで発展してくるのであり、さても面白き作品であることをつくづく感じる。五木作品のなかではあまり注目されていない印象をもつが、僕としてとても秀逸なものとして受け止めている。

この作品の佳境はチリ人民政府内部でクーデターが始まるかも知れないというあたりからだろうか。CIAに操られた軍部とアジェンデ大統領が隠密裏に組織しようとしている人民軍が衝突する予測である。主人公江間が苦労して日本からロペスの絵をチリ政府にもたらしたが、それはロペス自身のものではなく贋作だという疑いがかかった。信じられない思いで、ある人物と一枚の絵に出逢う。そこにみた絵は紛れもなくロペスのものであり、ベッドに横たわっていた人物はチリの革命詩人パブロ・ネルーダだった。
アジェンデはある画策をする。人民を失望させないために、また江間が持ち込んだ百を超えるロペスの絵だと思っていた作品を招待した海外の要人がみて、アジェンデの政府の支持を取り下げる可能性を考え、この絵は贋作ではないとロペス自身の口で宣言して貰うことだった。
クーデターが間近に迫っている緊迫した状況のなかで、ある政治家と三人のパブロと、そして江間及び恋人冴子をロペスの絵画移住を計画したバルデス夫人がとある場所に目隠しをさせて立ち会わせたのだ。
三人のパブロと知らされた江間はそれが誰であるか予感はしたが信じられない気持ちを抑えられなかった。
ホテルの一室と思われる場所でそれらの者達が集まり、まずアジェンデと思われる政治家から提案があって、それは先ほど書いたロペスへの提言であった。
ロペスは贋作であることを否定したものの、アジェンデの願いに対して、あの作品は実は自分のものであることを告白する。
自分の不遇時代、パトロンとなってくれたとある女性の恩返しをするつもりで、既に以前の輝きを失った手で自分で自分の過去の作品を模写したのだと。生命を失った絵画を人目にさらすことに肯んぜず、嘘をいったが最早その気持ちはない。チリ人民のために喜んで自分のものだと宣言しようと。
その場であの名チェリスト、パブロ・カザルスがアジェンデに請われてある曲を弾きだした。
カザロスがフランコ政権に抗して音楽家としていかに戦ってきたか。彼のコンサートでは必ず最後に演奏される「鳥のうた」は実際聴くとジーンとくる小品である。私の生まれ故郷のカタローニヤでは鳥が「ピース、ピース」と啼くと云う。

これは余談だが上巻のなかに「グロッサー・メルセデス」のことが載っていた。ヒトラーが特別に発注したマンモス・ベンツでヒトラー自身が猛烈なスピード・マニアで自分でグロッサーをとばしてベルヒテスガーデンの別荘へ高速ドライブをしたそうだ。側近のゲッペルスは彼の運転を怖がって乗らなかったが、度胸のすわったゲーリングだけはおつき合いをしたという逸話がある。このグロッサーは各国の要人に提供され、昭和天皇も御用車として使っていたとのこと。
by jamal2 | 2009-06-19 04:42 | | Comments(2)
Commented by 町人 at 2019-07-02 21:15 x
関西の中年オヤジですはじめまして(*^^*)この映画最近初めて見ました なんだかよくわからんスケーだけはデカイ映画ですね(^◇^) 内容よりも元自衛官方々階級章の設定が気になってしまいました 鶴田浩二さんは准尉みたいやのに長門さんの階級章が2等陸佐風だし(^-^;)銃の持ち方もど素人ッポイしでそれだけが印象に残った映画でした(^◇^)  しかし 鶴田浩二さんは准尉っぽい雰囲気はあったような(^_^)v古株の曹長や準尉はあんな感じだったなあと思い出しました
Commented by jamal2 at 2019-07-03 06:03
コメントありがとうございます。この作品が映画化されているなんて知りませんでした。
鶴田浩二が出演しているとなるとかなり古い映画なんですね。
ネットのどこかで観ることができるなら是非みてみたいものです。


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