せどり氏の散歩道

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「子規おぼえ書き」

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某月某日
子規『歌よみに與ふる書』讀む。最初のその書から再び、三たび、四たび・・・十たびと重ねて草した和歌に就いての論である。子規の俳論に限らず幾たびかこのような論を讀んできたが、相変わらずの痛罵歯に衣きせぬ言いなしには、痛快を越して不快さえ抱くことある。居士の謂わんことの半ば理解して居らない為とは思うが、余りに口汚い謂いぶりに嫌気を起こすは僕ばかりではないだろう。
 是は是非は非と謂わねば気の済まない人であろう事はよくわかった。彼の悪罵の対象とするのは、遠く今昔の古今及び新古今和歌集の世界である。しかしこれを尊きと持ち上げる輩が子規の生きた時代に在り、古色蒼然もものともせず未だその域にあるのが憎々しかったのであろう。彼の論難するところ殆ど知らぬ世界にて兎角謂うこと憚れる。もう少し理解の及ぶ処に及んだ後に再びこの書を讀まんとす。

某月某日
子規紀行『道灌山』を讀む。小紀行文にて忽ち終わるが、立ち歩くこともままならない居士が人力車で根岸から遊び出でた記録で、「遊意稍動く」と自ら記す。年に何回も外には出ない境遇で、人力の車から見える見覚えのある町並みは面白く見えたようである。この時代のことながら目に見えるような長閑な描写に癒される思いした。田端停車所辺りの坂を人力が登っていくのを、居士が冷や冷やしながら乗せられていく様子が手に取るようで
 
 壁立つがけの細道行く車輪をどるごとに生ける心地せず
 
 とあって高所恐怖症の僕には善くわかる気した。急な細い道を覚束ない人力の手に委ねて登る背筋の凍る思いはいかばかりか。ジェットコースターは謂わずもがな、エレベーターでさえ乗っている間に何時箱を引っ張っている綱がきれんものかと疑う臆病は幾歳になっても消えないのである。

 『道灌山』が呆気なく讀めたので、讀み遺していた紀行から『はて知らずの記』を讀み始める。以前讀んだ気がしていたのだが、多分中途でやめたものかも知れない。
 芭蕉の「奥の細道」を辿る旅なのだが、芭蕉の時代とは違って処どころ鉄道を使う旅となっており、自らも
 「汽車は風流の罪人なり」と嘆ず。
 
 僕も旅はしたいが、飛行機だの新幹線などは出来ることなら使いたくない。出来ることなら歩行で、そんな暇もなければ汽車でゆっくり行きたいと思う方である。車窓から眺める景色が飛ぶように過ぎ去ってしまうのを味気なしと常々思ってきたし、乗用車の類でも林間に入れば、窓をおろし何の鳥が啼いているのかと歩くほどの遅さで進むのが楽しかった。
 カヌーなどは最たるもので、普段見慣れぬ目線で川面を下る楽しさといったらこのうえなかった。
 明治の俳人が芭蕉の辿った道行きを追うという風流でさえこのようではあるが、子規の紀行文には俳論などの険しさは影を潜め穏やかで雅致に富む心象が浮かんでくるのは讀むものとしても心安らかとなる。

某月某日
毎月の通院ながら待ち時間長く、その間今まで子規全集を讀むナビゲート役としていた柴田宵曲『評伝 正岡子規』をほぼ讀み了る。36年の生涯は呆気なくも最後を期す。最晩年に書かれた随筆『仰臥漫録』をこれまでの子規の消息の一区切りとして讀み始める。
 その前にこの随筆の巻の解説をしている大江健三郎の文を讀んでから本書に遷る。
 「あきらめる以上」の彼の死生観について子規自身が綴った一人の子供の話に及んでいる。嫌で仕様がない親から灸をすえられる一児の心境を語り、彼が若し親の命ずる儘におとなしく灸を据えさせるばかりでなく、灸を据える間も何か書物でも見るとか自分でいたずら書きでもしているとかして灸の方は少しも苦にしないというのは、あきらめる以上のことをやって居るのである。」
 という一文を引用して子規の人生特に病牀においての彼の姿勢について言及している。
 彼の遺した四つの随筆『松蘿玉液』『墨汁一滴』『病牀六尺』そして最期の『仰臥漫録』の一部始終に死んでも死にきれない課題を持ち続け、それとは逆にこの苦渋から逃れられるのなら早く死を待つという希求を抱き、尚かつ生涯の課題に打ち込むことで痛み苦痛を忘れるという病臥の日々を送っていたことを目の当たりにする。

某月某日
『仰臥漫録』を讀みおえる。これで正岡子規については一区切り就いた感あり。以下追々抜けている処をカバーしつつ、再読の機会あれば讀見直すことにしよう。
 さて、次は誰をターゲットにしようか。松岡正剛千夜千冊に戻って新機軸を得るのも良いだろう。
 今年一杯は子規に拘っていようと思っていたが、案外早くスルーできた。でも一段落に過ぎない。


司馬遼太郎『この国のかたち』も最期の六冊目を半ば読み終え、「言語についての感想(七)」となりそこに「山会(やまかい)」と名付けた正岡子規主催の文壇に集う、徳富蘆花、正岡子規、そして夏目漱石のことが書かれている。子規没後2年にして山会は継続せられ漱石は「ホトトギス」に、あの大衆的小説『吾輩ハ猫デアル』を投稿した。そのことをこの著の「序」に記して、中村不折の挿絵を挿入して貰ったことを感謝していた。
 この有名な小説は、現代にあって著名は知っていてもどれだけの人に読まれたのか訝ざるをえない。当の僕自身初めて読んでみ始めた。実に「愉快」な、・・・気分を伝えるもので、終ぞ斯様な小説には巡り会わなかった様な気がする。
 たまたま祖父の書斎にあった初版本の再版(明治村版)があったので、不折の挿絵と共に愉しんで読んでいる。
 表紙は当然の事乍ら、右から左に表題と著者が書かれている。

某月某日

司馬遼太郎作『坂の上の雲』一~八、『この国のかたち』一~六、『世に棲む日日』一~四、『殉死』、『手堀り日本史』と読んできて、何か面はゆい思いをしつつ、やはり司馬氏の作品ではこれははずせないと思い、『龍馬がゆく』一~八を購入。カフェの給料が入ったのでつい買い込んでしまった。これで司馬遼太郎の作品は28冊となる。Web本棚というサイトに僕の書棚が登録されているが、登録書籍順でいうと、宮本輝に次ぐ2番目の札数ということになる。一番が宮本輝、二番が司馬遼太郎、三番が正岡子規、四番が松岡正剛、五番が白洲正子、六番が寺島靖国(あちゃー!これ汚点)七番が田口ランディ(うーん、これも汚点)八番が河合隼雄、同じく八番ミラン・クンデラ、同じく八番渋沢龍彦(いいね!)同じく八番水上勉、九番森鴎外、同じく九番、泉鏡花、向田邦子、十番芥川龍之介、十一番三島由紀夫・・・と言う具合で、全集買った幸田露伴は十三位。
 ま、そんなことで並べられると含羞ないという感じであるが、正確に登録するとこの順位も微妙に違ってくるのだが、この際どうでもいいこと。
 坂本龍馬が知りたいというより、幕末をもう少し丹念にみてみたいという気持ちが強かった。
 

某月某日

司馬遼太郎『竜馬がゆく』第六巻までいく。昨日はカフェが比較的暇で、五巻の読み残しを読み切ってしまい、「龍馬伝」とほぼ同時期にまで至る。今月中には八巻全部を読んでしまえるだろう。

「あ・うん文藝」の締め切りが迫っている。先回、先々回とその前の月と「獺祭書屋日誌」ということで正岡子規について日記に綴ったのを載せてお茶を濁した。しかしあれはあれで結構自分でも気に入っていたが、自分としては子規を追うのを一端締めくくってしまったので後がない。
 更に前になると中断している「ひとり遊びのイリンクス」という私小説があるが、あれを続ける気力もない。「書斎の肥やし」というので書評を書いてもいたが、今年は司馬遼太郎ばかり読んでいるがそれについてどうも書けそうにもない。ない、ないづくしで困った。
 寺田寅彦の随筆『柿の種』というのがある。柿の種といえば、食べ出すと止まらなくなるスナックのあれを思い浮かべる。僕はピーナッツをより分けて先に食べてしまう方だ。寅彦の時代にそんなものがあったかどうかわからないが、「なるべく心の忙しくない、ゆったりとした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」という願いが冒頭に書かれている。
 いつでも忙しくない僕は、いっぺんに何節も読んでしまうが、ページに余白の多い短い文章がスカスカとして一節ではやめられなくなるのでやはりスナックの「柿の種」を感じてしまう。
 ああいう感じで読んで貰うようなエッセイにしようかと一計を案じた。

某月某日

朝から母屋のゴミを便利屋に頼んで、積年のゴミ払いをしている。途中経過にあってはゴミ屋敷同然だったが、作業が進むに従って風通しも良くなりさっぱりしてきた。作業には一切手を貸さずコーチャンフォーで買い物などしてくる。
 アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』上下 岩波文庫
 幕末史をみていくうえで、サトウという英国人の目からみた維新への経過は興味深い。司馬遼太郎の歴史小説のなかでは度々登場する人物。サトウはスラブ系の希名であるが、日本人の妻をもったらしい。通訳として働き日本語は堪能であり、候文から方言まで理解し使いこなす。為に様々な外交に立ち会い日本人の仕来り風習、政治・経済的経過を具に見聞きしていたジャーナリストといえる。従って彼の見識判断は鋭く、度々固陋な官僚をたじたじとさせた。
 司馬遼太郎『竜馬がゆく』も最終刊八巻目となり佳境に入っているが、彼アーネスト・サトウの辣腕ぶりにかなり興味を持ち関連書物を求めた。
 『竜馬がゆく』を読んでしまったら後何を次にと考えていたが、取りあえず続編的にいくつかの候補を選んだ。
 鳥居民『横浜富貴楼 お倉』もそのひとつ。幕末志士の生き残りであり維新後の元勲等の周辺で動いている人物にも興味がある。竜馬の周辺にも多数の「女たち」がいた。なかでも長崎の豪商である女将お慶などは、富貴楼のお倉に匹敵する才人である。先にも謂った明治政府の元勲、岩崎弥太郎等の豪商などとのつきあいを綴っているようで興味深い。

 それとは別に祖父の書斎を眺め回しているうちに、山口青邨の書籍が散見されるのに注目した。俳人の書が多いのは当然として青邨を何故という思いがあって、一冊手に取った。『三艸書屋雑筆』。子規もそうだが俳人の書く随筆というものに興味がある。俳句の描く宇宙観がエッセイにも映ると言う気がしていた。暫く読み続けているうちにその感を強めた。
 寺田寅彦等本職科学者であり、俳句も詠み随筆もものすという人にも一種特色がある。
 青邨も工学者である。僕の祖父も医師であり、号を疎竹といういい俳句を詠んだ。
 僕は俳句は詠めない。が、俳人の書く随筆に興味がある。目の付け所というかものの解釈の仕方、始末の付け方が他と違っている気がしている。随筆はそれらが旨く配合されていると読んで気持ちが良い。俳句のテリトリー、随筆のテリトリー、小説のテリトリー・・・。これらは機を一にして受け持ちが違っている。しかし気脈は通じる。そういうとらえ方をしてきた。
 作法云々を言い出すと見当が違ってくる。そういうことは些末な事柄で、大事なのは宇宙観だと思っている。気脈で注目すると色んなテキストがリンクされてくる。
 寺田寅彦と稲垣足穂と「銀河鉄道の夜」と・・・。

某月某日

司馬遼太郎『竜馬がゆく』全八巻を読み了える。予定通り一ヶ月以内に読み了えた。クレジットカードのマイルだかが貯まったので旅行に行ってこいとかみさんが頻りに薦めるが、行く宛がなくそのままにしてある。が、今日『竜馬がゆく』を読んでしまって、チックと(土佐弁)行きたいところがあると云って出かけたいところがある。「長崎県長崎市伊良林町二丁目六三六番地」。
 亀山社中の史跡があるところである。そこに行って「読んだよ~!!」と一言云ってきたい。特段何も無いところらしい。そこにたどり着くまで二百七段の石段を昇らねばならない。考えるだに億劫である。そこを降りると思案橋などのある花街丸山などがある(らしい)。それらを訪れるのに旅行などという仰々しさと金のかかることは出来るだけしたくない。近所のコンビニにでも行く気でちょっこし行ってみたいだけである。
 長崎に行く前に、東京は根岸(台東区)に寄りたい。云うまでもなく子規庵跡があるからだ。それにしても、そばまで行って「はー」とか「へー」とか云ってくるのはバカバカしい。
 他には伊予松山、土佐巡り。お遍路も悪くはないが疲れるから歩くのはよして船便で回りたい。
 京都も良いが、それじゃあまるで観光客だ。一番嫌な設定である。でも、禁中御門を拝啓し幕末の舞台を忍ぶ?・・・。
 まあ、色々考えた手軽さがないので、自宅のパソコンでGoogle Earthで旅行した気分でいるのが一番のようだ。

某月某日

床掃き、床拭き、ついでに玄関周りの防雪よけのガラスまで拭いて自分でもどうしちゃったのかな思うほど良く働いた後、さばさばした気分でサクサクと読める随筆を読む。
 
 山口青邨『三艸書屋雑筆』より「積読」他一編

 祖父の書棚には、俳句や歌集の類では芭蕉、子規、虚子、青邨、啄木などの全集や稍纏まった量の蔵書の他に雑多な歌集や詩集或いは遺稿集というのが並べられているが、そのその他雑多という著書の嵩が半端でない。蔵書全体の大凡五分の一ほどはあろうか。青邨の随筆のなかの「積読」読んでいて、ああ多分これらは是非読んで欲しいと贈られたものや記念にと贈与されたものではないかと気づいた。余りというか殆ど手が付けられ形跡のないこれらを処分するには先方に悪い気がして仕方なく棚に並べられていたものだったのだと想像した。
「歌書俳書置所なし虫の声」
 とは青邨の戯句だが、先生、先生となまじ俳句を愛し自らも作句したばかりに祖父も同様な感想をもったであろう。
 
 僕も日増しに貯まっていく蔵書を処分出来ない質で、いつか読み直すかもしれないなどと宛のないことを考え出すと捨てられないでいる。戦後復興期よりやや経って高度成長期に育ったくせに物の捨てられない勿体ない派である。しかしながら引っ越しをするなどの機会に多分読まないというものは、段ボールに入れて物置にしまってしまおうと決断するのだが、そうでもない限り狭い部屋のスペースに書棚を増やしてしまうことになる。さすがに床積みするようなことはしない。第一始末屋の家内がそれを許さないからだ。
 
 読書家というのは一種のフェティシズムで、所謂病気の類なのかもしれない。買わずにいられない、読まずにいられない、捨てられないのないないづくしで自然家中はそれらの衝動の結果悲惨なゴミ屋敷とかす。足の踏み場もない、見通しの悪い剣呑な山歩きのようになってくる。どこに何があるかさっぱり分からなくなっていざ目的の本を探すのにかなりのストレスがある。終いにその惨状に家内は怒り出す。始末屋の家内が無闇と片づけだすとかえって始末に悪い。棚に預けておくと闇夜に烏、雪に鷺で同じ様な背を見せている表紙から殆どヒステリー状態で記憶を頼りに探すしかないので、ただ今限りのものは机に積んでおくのと片づけられて痕跡を消されてしまうと只でさえ惚けてきているのに、雲を掴むような話になってくる。雲散霧消とはこのことだ。

 こほろぎの本のかげよりおなじ貌  青邨

 まさかこのような偶然は滅多に生まれえないのだが、かえって風流ともいえる。

某月某日

何を読むことも、何を書くことも億劫となって一ヶ月余りも何も書かずにきてしまった。こんなことでは遺憾と、たとへ1ページでも読み、一行でも書くようにしていれば
いつか元のように読んだり書いたりできるようになるかもしれない。

思い立って子規の随筆をまた読もうとし、『墨汁一滴』から読み始める。書き出しのあたりにこれを書こうとした子規の気持ちが書かれている。

年々痛みのます局部がどんどん拡がって筆を取って物を書くことができなくなった。思うことはいっぱいあるのにこれでは生きている甲斐もないとさえ思えてくる。色々考えた挙げ句墨汁一滴というものを書こうと思った。長くても二十行を限度に短いのは十行か五行あるいは一、二行なんてのもあるだろう。病の具合を伺って胸中浮かんできたことを書き散らすのも全くかかないよりましだろう。

というような言葉である。
僕は生来の面倒くさがりと、今まで書いてきたものに嫌気がさして、あれこれない知恵を巡らしているうちに行き止まりになってしまっただけのようだ。

一日一行でもいいから子規に倣って書き残していこうと思う。

某月某日

パソコンの画面が見づらくなって、眼鏡をかけたり外したりを苛苛しながらそれでもかなり我慢をしていたのだが、今回の退院を機会に適する眼鏡を作ることにした。フレームなどどうでもいいと思っていたが、これはと思うものに遭遇し即決した。所謂「ロイド眼鏡」。昔の文豪が使っていたような面持ちがあって、作家気取りになってしまう。
 これを掛けると露伴先生の『幻談』や『風流仏』が読みたくなる。或いは永井荷風か百鬼園先生(内田百閒)でもいい。ちょっと捻って「タルホ」(稲垣足穂)か『ドグラ・マグラ』(夢野久作)、いやいや鏡花(泉鏡花)だな。
 ともかくパソコンを睨みつつそのまま目を伏せれば本の活字が鮮明に見えるというのが全く助かる。有り難きこと、有り難きこと。
 そういえばと思って1999年版「太陽」で「作家のスタイル」というのを特集しているのを読み返してみた。その中に池内 紀の文で「奇才・正岡容(いるる)のおかしなスタイル」という副題、「上等な物語は滅茶苦茶から生まれる」と題したのがあった。
 正岡容については、つい最近まで不案内だったのだが、祖父の書斎に全一巻が蔵してあったのを思いつきで開いてみた。彼の書簡が祖父宛にあったのを随分前に見つけたのだが、てっきり正岡子規の縁類かと思いこんでいた。子規のことを知るようになって噸でもない勘違いであることに気づきはしたが、彼が何者であるかは知ろうともしなかった。
 演芸作家、或いは寄席芸能研究家というのがもっぱらの見られ方であり、著書の目次を追っても「円朝」「寄席」などと関連したものが連なっている。なるほどそういう人かというところであったが、何故祖父が彼と縁があったのかはわからない。祖父と落語?
俳句に親しんだイメージばかりがあってこの繋がりが不可解といえば不可解。
 僕も落語は子供の時分から大好きで、いまだに良く聞いたり見たりしているが、特に桂枝雀が大のファンである。落語界の異端児。身振り手振りの大袈裟すぎると非難されたりもしたようだが、彼の「緊張と緩和」理論には頭が下がった。海外でも公演するという実験をするなど全く奇才というしかない。創作落語、講談も素晴らしいがちょっとした口調に爆笑を禁じ得ない点も見逃せない。
「上燗屋」という酔っぱらいの話で何々と注文をつけた後で「スビバセンネ」と付け加える。酔った口調のおかしみは屋台の親爺との遣り取りの滑稽さに輪を掛けてくる。寄席の客は「スビバセンネ」が出るたびにツボに填ってしまうわけである。こんなの邪道だと真面目な落語ファンから言われもしようが、そんじょそこらの芸人にこんな話芸はできはしない。悔しかったら笑わせてみろと言いたくなる。
「緊張と緩和」の真骨頂である。
「上燗屋」はYoutubeで見つけたのだが、余り人気があったせいか削除されてしまっている。残念だ。枝雀のDVDでも買うしかない。それでもUSBにはたんまり他のが保存してある。偶にみてはほくそ笑んでいる。

某月某日

 今日は早朝から執筆活動に励みかなり疲労感があったが、ロイド眼鏡に励まされてもう一踏ん張りと言うところである。昨日より10枚ほど増えた。ともかくこの題では書き尽くさなければ後に続くものの頼りにならないと思っている。いわば原点としたいからだ。
 プリントアウトした原稿用紙からは、ここらへんは中勘助だなとかここはジャン・コクトーだな、正剛の『フラジャイル』も出てくるし、ミラン・クンデラも狙えそうだ・・・みたいなことが浮かび上がってくる。それを如何に編集仕切って仕上げるかは兎も角書ききってからの課題と言えよう。一応構想を図式化したものは作ってみた。杓子定規に図式に乗っ取ってしまうのではなく、出来ればカオスを現出させ、裂け目を見つけて・・・とか何とか「正剛力学」みたいなものに接近できればなと思っている。
 

某月某日

村上春樹いや『ノルウェーの森』に限定して、「ヨブ記」を「序」として喪失感、ディタッチメントをオルテガに委ね、「重さ、軽さ」をクンデラで秤り、猥雑なユーモアをマックス・フォン・ベーンに重ね、フラジャイルな生を松岡正剛に裁断して貰うという構想で、映画版「ノルウェーの森」をもう一回観ている。出来上がりはいつか?

昨日の続きでTwitterに拘泥しているのだが、もし死んだ筈のジョン・レノンやスティーブ・ジョブズのツイートが飛び込んで来たら?というSF的発想を持ったのだが、ちゃんと彼らの名言集から引っ張り出して彼らに成りすましているのがいるわけで、それはそれとして「聖句」的に参考にしようと思っている。

「ヨブ記」に関連して吉本隆明の講演をYouTubeでチェックしたのだが、ヨブ記ってのは面白そうだ。ドストエフスキーを始め、様々な文学者、哲学者、心理学者などを啓発しているようで、知ってて損はないと言う気がしている。
聖書関連の書籍なら祖父の遺産としてずらっと並んでいる。その気になればいくらでも参照できるわけで、無神論者のボクも益々祖父の書斎に近づいているのを感じる。
最初は、正岡子規だった。全集が新旧揃っていた。後は芥川、鴎外、漱石の全集、果ては正岡容(いるる)に及び、途中、中谷宇吉郎や内田百けんや山口青邨、芭蕉等にに遊び、その他諸々の遺稿集や俳句、和歌、詩集など不如意にながら寄せられて捨てるに捨てられず残ったもの等が多からず少なからずという案配で書棚に並んでいる。
我が子にはその気配がないが、これから出来る孫達の誰かがボクの書棚を覗きに来てくれる日が来るのを期待しないで待って居よう。但し売らないでね。(書き込みだらけだから売れないけど)

某月某日

何か途轍もなく「虚しさ」を感じる今日この頃。毎日のルーティンがやりきれなくなって誰かに電話したくなる。電話の相手は、この僕の切なる思いをわかってくれているのかいないのか、定かじゃないながらも話しているうちに少し元気になる。ほんのちょっとの言葉に笑いがこぼれ、よしまた頑張るぞという気に一瞬なる。が、やっぱり一瞬のことで、やりきれなさの方が勝ってくるのである。何を読むきにも、何を書くきにも、何の映画を観ることも出来ずに「虚しさ」だけを背負って時が時が過ぎていく。
そんな時子規の一節を引っ張り出してみた。

日比谷八景 <新橋秋月>
 緑酒紅燈樓々皆然り。此間に牛飲馬食する者、官か民か士か農か。三尺の鬚空しく涎にとぢられて些の威厳無く、 懸河の辨論一聲野暮と叱れて一文の値なき別世界の中こそ最面白けれ。

 月と酒敵も味方もなかりけり      正岡子規 『子規全集 第九巻』俳句時事評より

 櫻田、永田、霞関(霞ヶ関)、新橋、芝浦、赤坂、三緑、溜池、の都内背景の風物を小気味よく評し一句詠むという風情のなかで、新橋秋月のところが他の部分よりやや下卑ているが、紅灯緑酒の賑わいのなかで子規が「面白けれ」と感じたことに共感する。子規は食に貪欲だったが、飲はどうだったんだろう。牛飲の僕は思う。

これで僕は少し救われたきがした。ほんの少し・・・

某月某日

パソコンがアウトになって以来、無線ランの設定に四苦八苦し漸く開通。有線の設定もままならず、もう一台パソコンがあったからいいようなもんで、ネットオークションの取引はなんとかそれで済ませる。こんなときに限って落札が続々と続き、ほくほくしてたのもつかの間、なにがなにやらわかりませんというほど出費がかさみ、すべてちゃらになってしまった。こんな生活もう御免という感じ。
明日から再起をきして書斎生活に戻ろう。
とりあえず何から読もうか。エッカーマンの『ゲーテとの対話』全3冊か、子規を読み直すのもいいかも。
ともかくなんでもいいから金のかからない正常生活を取り戻そう。

某月某日

次男の新居を訪ねることをメインに3日ほど東京に行ってきた。まあ、気分が変わるというより人に酔って疲れたというのが本音だ。かみさんは目をきら尽かせてその人混みに突入するのにはつきあいきれずただただ待つことばかり。
そんななかでも一度行ってみたかった正岡子規の子規庵を訪れたのが僕にとっての最大の収穫だった。鶯谷というのは上野の次の駅ながら何か裏寂れた東京都の発展に取り残された感のある街だ。子規庵にたどり着くまでの細い路地はラブホテルが軒並み並びそこをでたところにひっそりと庵があった。なんという違和感。しかし考えてみると高層ビルの谷間に庵があってもこれまた違和感はぬぐえないだろう。
震災後になるべく原型をとどめて建て替えたという庵の趣はまことに感慨深かった。ああ、ここに子規がいたのかという思いである。こじんまりとした家屋の庭に面した風情。ああ、これが子規の宇宙だったのだなと思う。庭にでて植え込まれた草花のひとつひとつが彼の俳句の題材だったな。ことにも糸瓜の大きさに目を見張る。

思いを遂げる糸瓜の大きさかな

某月某日

雪解けが始まってきたようだ。憂鬱だった雪かきから解放されたのはいいが、季節の変わり目には持病の「鬱」がおこる。面白い筈のものが面白くなく、興味深い筈のものが味気ない。一日は読書と落語を聞くことで過ぎてゆく。これとて調子の良いときに読んだり聞いたりすればさぞかし愉快なものなのだろうが、殆ど義務的にやっているにすぎない。無論「書く」ことなど思いもつかない。書かなければならないこともないし、書くに値することもないと言う思いが障壁になっている。
このところ寺田寅彦の随筆集(全5巻)を読み続けている。寺田寅彦の「癖」を云々するのはおこがましいが、彼にとって万物はすべて「研究」の対象となっているようだ。時にそれが煩わしくもある。もっと師匠の漱石のように虚心坦懐に風雅にさらっと書けないものかと思う。以前『柿の種』という随筆集を読んで好きになった。ああいった調子を期待して今読んでいる随筆集を読み始めたのだが、期待がはずれた感がしていた。
例えば「電車の混雑について」などというタイトルのものがある。これなどは一種の風物として描こうと思えば描けそうであるが、寺田はこれを統計的に観察し数式まで持ち出して、どういう間隔で乗車すれば混雑にあわずに空いた電車に乗れるかの研究成果を綴っている。捉えようによっては独自の「心眼」の面白さがあるといえなくもない。しかし何をこんなことまで小理屈を述べて書かねばならないのかという気がすることが多い。
しかし鬱陶しいと思いつつ読んだもののなかには、あらたに目を開かせられるものもある。第三巻には「連句雑俎」というながめのもの掲載されている。俳諧連句などというものには門外漢だったのだが、その仕組み、決まり事、忌避すべきことなどそのシステムが朧にわかったうえで、寺田が「音楽」とつきあわせてその類似を考察しているところがある。なかなか直ぐには飲み込めない類の論考であり、彼が音楽にここまで精通しているのかと驚かされる部分でもある。
ここを要約したところを引用すると
「連句は音楽と同じく律動と旋律と和声をその存在要件として成立するものである。そうして音楽の場合の一つ一つの音に相応するものがいろいろの物象や感覚の心象、またそれに付帯し纏綿する情緒である。これらの要素が相次ぎ相重なって律動的旋律的和声的に進行するのが俳諧連句である。従ってこれらの音に相当する要素には一つ一つとしての「意味」はあっても一編の歌仙全体にはなんらの物語の筋は作り上げない。筋はあってもそれはもはや意味では言い表せない、純音楽的な進行の筋である。」
これらを含む論考は最早随筆などではなく論文に近い。これは現在にまで継承されている俳誌「渋柿」に掲載されたもので、漱石門下の小宮豊隆等も投稿している。
連句、連歌に関しては田中優子の「江戸の想像力」が参考になった。いわゆる「連」という江戸に発生したコミュニティの産物ということになる。ついでながら狂歌の会から派生した「噺の会」つまり落語の発生に関する事柄についても書かれてあって興味深かった。

第二巻のなかの「備忘録」(1934年2月)には「何度読んでも面白く,読めば読むほど面白さの沁み出てくるものは夏目先生の『修善寺日記』と子規の『仰臥漫録』とである、とある。漱石の全集のなかには表題として「修善寺日記」というのはみつからなかったが、「思い出す事など」というのがあって、いわゆる「修善寺の大患」の記録があった。胃潰瘍を病み修善寺で静養中800gもの吐血をし生死を彷徨ったときのことである。「余は一時死んだ」というように書いている。寺田はどちらもあらゆる創作の中で最も作為の少ないもの」「死生の境に出入する大患と何等かの点に於て非凡な人間との偶然な結合によってのみ始めて生じ得る文献の宝玉であるからであろう」と記している。こういう非凡な人格だからこそ書き残すに値するものであると思うに、やはり僕などは迂闊にも何かを書き記すことは恥のかきすてばかりとなるのだろう。そう思うとまた憂鬱となる。

某月某日

最早4月も間近となって、雪解けも本格化してザクザクの道は歩きにくい。
『寺田寅彦随筆集』も4巻を読み終え、後1巻を残すのみとなった。寺田は科学者がのこす文学のうち最も馴染むのは随筆であろうと書いている。しかし今までずいぶんと随筆は読んできたが、大方は文学者のものであったのでそれらと比べるとあまりに寺田のものは「科学者」然としていて違和感を感じないわけにはいかない。そのなかでも巷の話題を取り上げて悠々と書いているものもあってこれならと思っていると、突如「科学者」が飛びだしてくるから油断がならない。しかし大正期に残した彼の考察のなかには現代において先見の明を感じるものが多く、その点は「科学者」たる彼を評価すべき点かもしれない。
漱石に俳句をならった彼であるが、漱石は正岡子規にならった。子規、漱石、そして彼と繋がる線は面白い。

「客観のコーヒー主観の新酒かな」

「好きなもの イチゴ珈琲花美人 懐手して宇宙見物」

とは彼のものである。
あくまで「科学者」を離れないところが彼たる所以らしい。
この随筆集を編纂したのが小宮豊隆で漱石門下の代表でもある。その小宮が『漱石襍記』というのをのこしており祖父の蔵書にそれをみつけて読み始めている。漱石全集の編纂に携わったのもこの小宮であるが、新聞、雑誌に折々書いたものをまとめたもので漱石のガイドブックとしてはなかなか良さそうだ。
最初に登場するのが『木屑録』であり漢文で書き上げた小品だが、これは子規ひとりの為に書かれたものとある。そのあたりの漱石と子規の交友の断片が伺われる。

某月某日

小宮豊隆『漱石襍記』を読み終える。最後の明治41年頃の日記にあるように、小宮は漱石の傍らに常にいてその人柄に親しんでおり、「漱石神社の神主」と揶揄されるほど尊崇の念をもって接していたようであるが、漱石の作品の構成分析においては睥睨すべきものがあるようだ。正岡子規に親しむには柴田宵曲の『評伝 正岡子規』が良いガイドであったように、漱石に親しむにはこの『漱石襍記』をはじめとする多くの小宮の著書が良いと思われる。
先日、オークションで寺田寅彦全集18巻を落札した。その前に集英社新書の松本哉『寺田寅彦は忘れた頃にやってくる』をamazonで入手してみたのだが、松本哉の経歴をWikipediaで調べるとかなり怪しげな人物のようであるが、眉に唾して読み始めてみると存外捨てたもんじゃないきもしてきたので、一応ガイドとして採用してみることとした。
それは兎も角、全集1巻目のはじめは「根岸庵を訪ふ記」とあり漱石の紹介で病床の子規に初めて面会した様子が描かれていた。昨年暮れに僕も訪うたあの子規庵に寅彦も足を運んだわけだ。子規、漱石、寅彦という三者の全集が揃ったところで何かとても豊かな気分に浸っている。子規と漱石の全集は祖父の蔵書であるのだが、漱石の弟子である内田百けんなどはかなり蔵しているし、中谷宇吉郎などもあるのに何故寅彦に注目しなかったのか不思議ではある。そこのところを僕が埋めたかたちとなったわけである。年とともに祖父の蔵書が役に立つようになってくるのも奇遇という気がする。祖父が愛した俳句には多分生涯近づくことはなく、随筆、小説の範囲で袖擦り会うばかりとなるだろうが、それも年を経てみなければ予測のつかないことである。

某月某日

読書頗る快調にすすんでいる。早寝早起きの習慣から朝3時か4時には目が覚め、徐に読み始める。今は寅彦関連の著書で太田文平の『寺田寅彦 人と芸術』という一種の評伝に始まり、寅彦全集で太田氏が引用しているところを拾い読みし、次は寅彦の弟子であった中谷宇吉郎の『続 冬の華』、さらに漱石の『猫』を読む。序でに松岡正剛の「千夜千冊」第二巻「猫と量子が見ている」を一こまずつ読み進めて、それでも余力があれば正岡容集覧で落語について親しむと言う具合にローテーションするのである。大体一冊につき一時間程を当てているので、大凡一日五六時間は読書に当てている計算となる。
中谷宇吉郎のは寅彦全集の月報のなかで「先生を囲る話」というのが七話載っており、これがなかなか読ませる。正剛に言わせると寅彦に比べると訥々としてあまり旨くないと評していたが、そんなことはない。これを続けて読んでいて見直したところである。この表題は独立して一冊になっているようであるが月報に載って居る物以外の内容が含まれているのであろうか。兎も角俄然宇吉郎のものが読みたくなって、祖父の蔵書にあった『冬の華』を読み始め、でやっぱり代表作『雪』も読まずにいられなくなって入手した。
漱石の『猫』については小宮豊隆の『漱石襍記』のなかでかなり力を入れて書いてあったが、表面上の滑稽さ、饒舌の裏にあった漱石の心理的相克を指摘している。現実の漱石が表に出さず抑えていることを、『猫』において一気呵成に吐き出したのだという説である。そういわれればそうかもしれないが、この年になって初めて読んだ感想は実に愉快で落語を聞く時の風味にも似た感がする。実際子規や漱石はずいぶんと落語に親しんだそうである。
「放送禁止用語」などという縛りのなかった頃の寄席ではかなり際どい尾籠な噺もあったようで、正岡容の著書を読むとそれが伺える。『猫』のなかの寒月君のモデルは寅彦だという定説があるが、いや寒月は寒月だと寅彦自身が反論したそうだ。
正剛の「千夜千冊」の二巻目は科学の巻である。このところ寅彦、ファラディ、宇吉郎と物理学者のものを好んで読んでいるが、はっきりいって数学は苦手なので本論で迫られると二の句がつげない。しかし彼らの手にかかると苦もなく親しめるのは根底にある考え方、思想のなせる技というしかないだろう。科学と芸術は対立しない。どころか互いに融和し統合されてこそ人心を揺り動かすものとなる。寅彦が随筆という手段を通じてしつこいくらいに説くのはそこであろう。

某月某日

好天気が続く。庭の畑に水をやり、今日は車が空いているのでコーチャンフォーまでいって、喫茶ルームで読書。岡潔の『春宵十話』を30分ほど読んで過ごす。松岡正剛が選書した本だが、どうも小首を傾げたくなる部分がある。しきりに教育や子育てについての批判が目立つのだが、価値観が古色として頷けない。なるほどという部分より正岡子規の言葉を借りれば、「つきなみ」と思える言辞の方が気にかかる。しかし一概に「はずれ」ともいえないので、まだ読み続けている。
松岡正剛の『フラジャイル』を再読しているなかで、樋口一葉の『にごりえ・たけくらべ』を読んでみようと思い立つ。何度か挑戦したが、文体のせいなのか何故か今まで頓挫していたのだが、今回ばかりは細かいところはあまり気にせずに読むことができた。たぶん幸田露伴などを暫く読んだおかげだろう。
「邪険」や「まさかの葛藤」というあたりの意味合いをつかみたかった。

22歳の友人と再会して、ギターを教えて欲しいといわれ、教えに行くにはギターケースが必要なので、オークションに入札した。更に暫くさわっていなかったので、Led Zeppelinの曲のタブ譜をサイトでみつけて、これはと思うのを弾き始める。CasimiaはAチューンなので、もう一本のギターをチューニングしなおし、曲によって使い分けた。なんといってもStare to the heavenを完全マスターしなければならない。

某月某日

菅野美穂・岡田准一主演の「虹を架ける王妃」を観る。日韓併合当時に日本に留学した李垠と梨本宮方子の物語である。日清戦争から第二次世界大戦後10年目にして独立を承認されるまでの期間の歴史をこの夫婦の物語から垣間見る為、2冊の本を注文した。1冊は方子自身のものによる『流れのままに』と本田節子著の『朝鮮王朝最後の皇太子妃』である。
その当日、一人の女性の死を知らされた。心筋梗塞ということをその母親から伝えられた。死亡したのは本年4月末である。推測でしかないが、彼女の過去の経緯からみて薬物とアルコールによる自殺であろうと思われた。僅か40年の歳月である。
近年歳を経るごとに、我が身の寿命を指おるようになった。幸い健康に恵まれている現在からおして後幾年生きられるか朧気に察することができる。しかしやはり死は無念であったが、一方人の寿命について一人の人間の生き方の完結として受容されるべきことと思うようになった。たとえ夭逝した人でもそれでその人の人生は完結したのではないかと思うのである。寿命の長短では測れない。死も人生の一部であるという考えに至ろうとしている。
太宰が自死したのも、ジョン・レノンが暗殺(と、ボクは信じている)されたのも、彼らの生き方の流れの一部であろうと思う。生き方の一部としての「死」の在処、死ぬことの選択、死なないことの選択、「まさかの」結論・・・様々な「死」の有り様は様々な生き方の有り様と同一であろう。如何に死すべきか等と覚悟する必要などないと思える。生き方は様々に変転し一様ではないが、「流れ」というものがあることは確かだろう。「まさかの葛藤」とも言うべき予測不可な流れによって決定づけられることは往々にして人生を左右する。しかし理由なき結論はない。自身の選択ではなく、周囲の情勢によって決定づけられる「運命」もありである。しかし一顧だに自身の取捨選択が入り込まないとは言い難い。
ともかく「死」を肯定的に受容する気持ちになりつつあることは現在において確かである。

現在読んでいるのはウンベルト・エーコ『薔薇の名前』上下、小林秀雄『本居宣長』上下、山本周五郎『虚空遍歴』上下、松岡正剛『フラジャイル』(再読)、そして石川 公彌子『〈弱さ〉と〈抵抗〉の近代国学 戦時下の柳田國男、保田與重郎、折口信夫 』である。『薔薇の名前』以外は、それぞれ連動するテーマであり、リンクしあっている。これらが読了された折りには、更に柳田国男や折口信夫等を浚う予定でいる。「国学」のなかに「フラジャイル」を見いだす過程である。
加えて松岡正剛『千夜千冊』第二巻「猫と量子が見ている」を「一夜」ごとに読み続けている。この中から岡潔『春宵十話』中谷宇吉郎『雪』リン・ホワイト『機械と神』寺田寅彦『俳句と地球物理』コンラート・ローレンツ『鏡の背面』アシュレイ・モンターギュ『ネオテニー』を読了、読めそうなものとしてハイゼンベルグ『部分と全体』やガモフ『不思議の国のトムキンス』ルイス・トマス『人間というこわれやすい種』等を得ようと思っている。
苦手な数学に果敢にも挑もうとしているわけではなく、数学、物理学、生物学、量子力学等に分類されている著書からのぞき見る所謂寺田寅彦の句にある「懐手して宇宙見物」の心境を得たいだけのことである。そう思っているとタルホが気になってくる。宮沢賢治然りでもある。

余談だが左足が浮腫している。度々おこるのだが、椅子に座ってばかりいて運動不足になっているせいだろう。自転車はよく使うが徒歩が希なのが祟ったか。足を高くしていると良いとネットから情報を得たので、椅子に座るときは、前に丸椅子を置いて足を乗せている。膝から下が膨れあがってパンパンになっていて足の甲を指で押すと瞬間だが元に戻らない。これも今の生活の「流れ」であろう。

「国学」「フラジャイル」「死生観」、「フラジャイル」を中心において他から得る「情報」刺激をスパークさせて何か書けないか・・・と今思っている。書くためには「編集術」を再考する気でいる。これを「遺す」為に何年かかっても良いと考える。スタイルは「随筆」「小説」「論文」何れでもよいが、本にする気はさらさら無い。「遺言」のつもりで書こう。そう車谷長吉のように。白州次郎のように「葬式無用、戒名不用」だ。「戒名」?無宗教のボクには許より無用であった。「願わくばはなのしたにて・・・」(西行)・・・段々死ぬ準備をしてきだした。
母は桜の開花時に亡くなった。父の亡くなった時期を失念してしまった。ボクのやることを咎められた記憶が殆どない。受容なのか無視なのか、いや彼らの信仰かもしれない。いや強いていえば祖父への遠慮なのかもしれない。祖父の養子となったボクに対する申し訳なさか?さてもボクの「運命」も満更平坦では語れないのかもしれない。過ぎ去った「過去」を振り返り、その重層的色合いを描くことができる歳になったらしい。
還暦になったら一念発起で事を起こそうと前から思っていたが、準備は怠りなく進みつつあると思っている。たとえ自己満足に域をでないにしても、「予定」や「目標」を持って人生の終焉に向かうというのは、祖父から学んだことである。言葉ではなくして生き様からだ。息子たちは度あるごとにボクの「背中」を見てくれていた。それで良かったと満足している。ボクには信仰がないが、辛いとき「自分をどこかに預ける」という意味でやり過ごすことも世過ぎ身すぎの一助だと考えた時期もある。自分だけの「神」の創造である。キリストでもマホメットでもやおろずの神でもない。ボクだけの神である。しかして「宗教」とは何か。何故個人のままに勝手にできなかったのか。教えを説くものと説かれる集団の形成。教えたがりと信じたがりの結合か?そもそもそういう癖が人間に備わっているようでもある。「情報」とはそのことなのかもしれない。「救い」を求めるから「救済」を与えようとするのは当然の帰結ともいえる。「情報」と「編集」の一端かもしれない。
マーシャル・マクルーハンの『グーテンベルグの銀河系』やW.Jオングの『声の文化と文字の文化』A.モンターギュの『ネオテニー』いやいや私淑する松岡正剛が爆弾のように披瀝するあらゆる書物のなかから迸るもの(ちょっといい言葉がみつからなかった)の全てはボクに欠かせない「情報」であり、彼の語る未消化な言葉の意味を知ろうとする心が「信仰」であり「宗教」なのかもしれない。
「思いこみ」で人間は生きている。恋愛しかり、結婚しかり、仕事しかり・・・。「断片」を「全部」と思いこむことが思いこみなのかもしれない。そう思ってみるとハイゼンベルグの「部分と全体」を読みたくなる。
客観世界は「部分と全体」でできている。その反映が「本」というものの現れ方でもある。「聖書」は「全」なのか。「コーラン」は「全」なのか。全でないからこそ中東戦争や湾岸戦争が起きるともいえなくはないか。多神教ではなく一神教が亀甲しているパラドックスをおこしたのは人間である。それぞれの「神」のせいではない?
人間の最大の創造物は「神」であろう。「思いこみの神」であろう。ヘーゲルやニーチェを揚げるまでもなく紀元前から今日に至るまでありとあらゆる人間がこの「思いこみの神」の「謎」を解こうとしてきたと考える。
原始宗教の素朴さをあらゆる民俗学者が語ってきた。それが徐々に「国家」と「宗教」の絡み合いによって変遷し複雑な駆け引きをもたらすようになってきた。「神話」の純朴さは失われ、一部のロマンチストにしか愛されなくなった。しかしホメロスの神話、ケルト人の神話、日本の神話・・・これらは蘇らすものではなく、個人の心の在処に留める、それが折口や柳田等の説くところでもあろう。
来世というものは信じない。輪廻も信じない。しかし「憧れる」心は持ち続けたい。厭世した者にも憧れはある。良寛がそうであり、西行がそうであるように。出家しても生臭くならず質朴であるのが特徴だ。そこがボクの憧れでもある。
「なにものでもない」青山二郎を思いおこそう。彼はヤクザな中原中也を避けずかえってかばい、白州正子を育てた。小林秀雄と互いを鍛えあった。この連鎖もボクのお気に入りだ。
正岡子規、夏目漱石、寺田寅彦、中谷宇吉郎の連鎖も別の意味でそうだ。芭蕉も入ってくる。正岡子規には陸 羯南の存在も欠かせない。子規の弟子たち、漱石の弟子たちの連鎖・・・これまた興味が尽きない。全員が質朴であり純であったかどうかは知らない。

ここまで書いてきて「落ち」がみつからない。「未完」は「蜜柑」。「桃と棗のあわい」であろうか。
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by jamal2 | 2017-05-20 11:27 | 日記 | Comments(0)