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落語の世界 桂枝雀

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「松岡正剛『立川談志』と語る」をあらためてみているうちに、子供の頃から親しんだ落語の世界というものを俄に見直してみる気になって、そもそもの落語の発祥から、今昔のというと大袈裟になるが、親しんだ落語家の比較のなかで、これはいい、これは駄目という主観の起きてくる要素を洗い直してみたくなった。何がみえてくるか予測のつかないことながら、大袈裟に言えば日本の文化の一画から出来れば「方法日本」の考察の一助になればと思っている。
取り敢えずは、好きだった落語家の特徴をいくつか挙げてみよう。
卑近といっても既に没して随分となる上方落語の異端児?桂枝雀を思い起こす。「上燗屋」「親子酒」などの噺は当然酔っぱらいが主人公である。「上燗屋」は屋台の客が既に何軒かはしごしてかなり酔いも回っている口調で酒を注文して出された酒の燗がぬるいの熱すぎるのと店の亭主に控えめながら注文をつける。また酒のつまみにこぼれている枝豆や鰯に絡めてあるおからなどタダのものばかり選んで食べておきながら「これ、なんぼですか?」とわかっていながら聞いて、亭主がそれだけではお金は頂けないと渋い顔をしているところへ「お金が頂けないということはどういうことですか?タダですか?タダなら食うってみたろ」と返す。タダ同然の勘定で済ませておきながら、最後に「なんぼかまからんか」というサゲで締めくくるというものである。

酔いの回った口調と振り、タイミング良く挟む「スビバセンネ」で客席をどっど笑わせ、一応丁寧な口調の奥に悋気を潜ませえげつなくも値切る難波っこを描いてみせる。
一方「親子酒」では親子揃っての大酒飲み。歳の違いから様子の違う酔いっぷり。お父さんは大分酒が弱くなってきて帰宅して息子の消息を心配しながら寝込んでしまう。一方息子はカラ元気ではしゃぎまわって屋台のうどん屋に入って店の亭主にからむ。帰宅しようとするが酔っていて家がみつからない。やっと帰えると酔って寝込んだ親父をみつけ起こそうとすると「頭の二つも三つもあるようなお前のような息子にはこの家は譲れん」という父親に「こんなぐるぐる回る家などいらんわい」と返す息子の台詞がオチとなる。
次の「親子酒」。これは古典に入るのだろうが、枝雀独特の脚色で噺を進め笑いを誘う。

アクションが噺とともにみどころ。父親がせがれに意見するという剣幕ながらだらしなくも寝込む時に高座の床に頭をゴンと音をたてて潰れてしまう。ここまでやる噺家はそういない。
一方息子だが、はしゃいだ挙げ句ポストに頭をぶつけて謝ったり、屋台でうどんにかける薬味をかけすぎてうどんがみえなくなって、捜索にかかってやっとみつけるも辛すぎて食べられなくなる間のやんちゃな喋りがいちいち可笑しい。それから帰宅しようとして一軒一軒訪ねるのだがみつからず、「みんなして俺の家を持ち歩いてけつかる」とは可笑しい。やっと帰宅してからの親子のやりとりは先に書いた通りだが、酔っぱらいならではの噺を枝雀独特の持ち味で盛り立てる。

「親子酒」のようなおかしみを持ったものに「宿替え」がある。一家の主人が嫁に指図しながら自力で運べる荷物を背負って転じる借家に移ってから、箒をかける釘を打って欲しいと頼まれ、打ったはいいが全部打ち込んでしまって慌てて隣近所を訪ねまわって釘のありかを探すのだが、隣でもない家を訪ねてしまったりやっと見つかった隣家の壁ならぬ仏壇の阿弥陀の首の横にそれを見つけ、驚きあきれるも「あんなところに箒をかけるんですか」と尋ね「こんなところにかける者はない」と言われそれじゃと「明日から毎日ここに箒をかけにこなければならない」と落とす。

嫁に対し説教臭い物言いで次々荷造りをすすめていくが、さて持ち上げようとすると何故か持ち上がらない。重すぎたせいだと思い竹とんぼをとらせようとする。そんな軽いものをとっても変わりないと嫁は言うが、軽くなったという神経が大事だと返す。針刺し、おまるなど積むときには大事だといったものもいざとなれば邪険にのけさせたがやっぱり背負えない。それもそのはず荷崩れしないように掛けた帯が下の敷居を一緒に掛けてしまったからだと嫁におっとり忠告され「家のなかにいながら家は担げない」と嘆く。宿替え先の借家につくと嫁と立場が逆転するが、箒かけの釘を打つとなって亭主の面目を取り返したかにみえて、先に書いた通りの顛末である。
古典を枝雀なりにアレンジするなかで飛び抜けてアバンギャルドに味付けした「親子酒」などに比べれば比較的穏やかな仕上げに思うが、それでも随所に枝雀流の笑わせ方を感じる。釘一本打つのにあれこれ講釈しながら長々とやって仕舞いに釘をまるごと打ち込んでしまうその途中経過はこの噺のもともとのものなのか?

次はこれも古典で「代書屋」。「儲かったときも代書屋の同じ顔」という枕にあるように苦虫つぶしたようなインテリの代書屋と履歴書を書いて欲しいと依頼にきた男が相対して問答する噺だが、無学なこの男の答えが要領を得ないのに苦慮する代書屋の対照が聞き所。一人で二人のキャラクターを使い分ける落語の常套ながらこんなはっきりしたキャラクターの違う役を一瞬にして切り替えるのは骨が折れることだろう。
姓名を聞かれ、その由来まで披瀝するのだが、最近まで姓名さえ知らず、死んだ父親の死の床で初めて聞かされたエピソードを語る。代書屋は余計なこととは思いつつ聞いてやっている。生年月日を聞くがそのまま「せーねんがっぴ」とそのまま言ってしまうとめ五郎。
今までやってきた職業では、「巴焼き」と言ったために代書屋のほうで正確な履歴に書くためあれこれ言い方を考えていたが、結局それはやってないということになって渋い顔をして書いてしまったところを一行抹消して印鑑を求めるが、訂正印が汚れていて旨く押せない始末。本当にやった仕事を聞くも「けったいなもの」ばかりで履歴書に書くのに苦慮する代書屋。それも2時間でやめたと聞かされ本職はなんだと聞かれ、「ぽん」ですという。「ぽん菓子」のことだろうが、同じ噺で「ガタロウ」というのもあった。これまた何のことやらわからない。この噺珍しく?オチがない。

枕のところで職業にも陰と陽があるという例で、魚屋と医者が出てくるが、どちらも面白可笑しく紹介する。

枝雀落語をまだまだ紹介したいが、今回最後に新作「いたりきたり」を。核家族化が進んで愛玩するペットブームのなかで、二人の男がペットを何か飼ってるかという話で、「いたりきたり」と「出たり入ったり」というのを飼っているというのでその説明を求めると、どうもその二匹は名前が逆じゃないかともう一人が問いただすと、「そんなこと人間の我が儘で決められない」と返し、どんな習性かを説明し餌の名前も言うがこれもまた可笑しい。もう二匹「のらりくらり」と「ねたりおきたり」だと言う。これまた餌の名前が可笑しい。何でそんなものを飼っているのかと問われ、ややこしい言い方だが見方によっては出たりも入ったりも同じことで、意見の相違なんてそんなものだ。東京、大阪をいたりきたりしているビジネスマンが誇ってみても結局同じところにいるのと違うか?と思うと心落ち着くという。
「のらりくらり」も「ねたりおきたり」もそれなりの価値があることを説明すると、それじゃあ自分も何か飼いたいきになったので譲ってもらえないかと。それはよかったあんたは欲しい、自分はあげたいということで「ねごたりかなったり」だというオチ。

要は発想の逆転の噺だと思うが、割と地味な作りではあるが、枝雀哲学を面白く表現したものではないか?
枝雀の「緊張の緩和」論は枝雀ファンなら知ってると思うが、落語というものを構造的に分析した結果の論で、只師匠から教わった噺を何の解釈も施さずに演じているのではなく、一本筋を通しながら曲説してアレンジするその大本に「緊張の緩和」を置いてすげ替えてみる工夫が枝雀落語の髄にあると思われる。
彼の師匠の桂米朝との比較をしてみてもそれは明瞭であろう。枝雀は枝雀以外の何者でもない。基本実直な稽古三昧に明け暮れた人である。下積みの頃、弟弟子より早く起きて生真面目に師匠宅の細々したことを苦とも思わず精進してきた。あまりにも生真面目なせいで鬱病にも何度か罹り、最期もそのせいで亡くなったが、高座では微塵もそんなことを感じさせなかった裏で「高座が怖い」と怯えた時期があったそうだ。枝雀の度はずれた話芸の裏でそんなことがあったとはつゆ知らずという人が多かったのではないだろうか。


by jamal2 | 2017-05-18 05:00 | 落語 | Comments(0)

本、ジャズ、映画・落語・プラモデル・・・ディレッタントな日々


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