僕は観光旅行というのが大嫌いである。
そういうことを好んでする人種をはっきり言って卑下している。旅行ガイドだかに載っている名所旧跡をみて、その地の名物料理に舌鼓を打つということにうつつを抜かしている神経が堪らなく嫌いである。そういう商業主義に安々と乗っかっている神経に嫌気を催す。 元の職場の同僚に海外旅行を趣味としている女性がいたが、結局旅から帰ってきてどこそこに行ってきたという自慢話をする、聞かされた者は「ほほー」といって実感のわかない話に相づちを打ってそれで話はお終いとなるだけのことである。それでも結構当人は満足げでまた性懲りもなく繰り返すという馬鹿馬鹿しさに呆れる。 名所の由来も知らないで、その歴史の痕跡も跡形もなくせいぜい記念碑がたっている程度の場所を訪れて何が面白いというのだろう。 結局その場所を訪れる目的意識もなく、訪れることでなにかしかの発見を得ることもないとしたら、全く空虚な時間を過ごすことになる。そんなことは到底私には出来ない相談だということを言いたいのだ。 歴史書や歴史小説を読んで興味を抱かないわけではないが、結局その程度のことで終わる失望感を考えるとわざわざ足を運ぶことを予想することさへ思いもつかない。 歴史の痕跡を確かめてみたいという欲望は関連する書物を読むたびにおこる。これは紛れもなく事実である。しかし実際にその場所に訪れた人の記述を読むとその気持ちが萎えることは屡々だ。 松岡正剛が北一輝の生まれ育った佐渡を訪れた記述がある。僕も嘗て用があって新潟を何度か訪れた。この地の向こうに佐渡という島がある。当初は北一輝のことも知らずにいたのでさほど興味もわかなかった。新潟・北陸から関東に至るエリアには著名な文人・芸術家等文化人が集中していることをその頃何かで知っていた。当時のことだからさほど知っている人物はいないのだが、そのなかで新発田出身の蕗谷 虹兒の記念館が新発田市にあることを知って新潟に行ったついでに電車に乗っていってみた。大正ロマン的とでもいうのだろうか竹久夢二を思わせる画風の挿絵が印象的できっと母が子供時代に親しんだ雑誌などの挿絵にあったのだろうと母のために土産に画集を買って帰った。それと『花嫁人形』という彼の著も買った。あの 「金襴緞子の帯しめながら花嫁御寮はなぜ泣くのだろう」 の花嫁人形である。 石造りの重厚な造りの建物も印象にある。駅前から結構距離のある地点にあったので記憶が曖昧だがタクシーを拾って行ったかもしれない。しかし帰りは徒歩で街並みを楽しみながら新発田駅に向かった。途中の寂れた喫茶店でアイスコーヒーを飲んだようなおぼえがある。あの日は夏まっさかりで日盛りのする炎天下をとぼとぼ歩いた気がする。 そう新潟県長岡といえば良寛なのだが、残念ながら時間もなく立ち寄ることはできなかった。 佐渡の北一輝の話に戻るが、正剛氏が立ち寄った佐渡は北の育った頃の面影を残すものはなにもなく、ただ北の弟が建てたという見窄らしい記念碑があっただけだという。北一輝に因んでもうひとつ言うとあの二・二六事件で処刑された青年将校たちの慰霊碑が東京都渋谷区宇田川町1-1にあるそうだ。あの大事件の慰霊に建てられた碑がぽつんと建てられている、それだけなのだ。 ガイドブックを頼りにそんな場所に行ったとしたら、いったいどんな感想を抱くのだろう。彼らに因む書物を読む限りおおいに想像をかき立てられるのだが、わざわざ足を運んで「ほー」とか「へー」とか言って帰る馬鹿面を思うととても出来ない相談である。 何年か前に甥の結婚式に東京に寄った時、同行した家族で空き時間に行きたいところはないかと相談した。気乗りのしない東京見物などまっぴらだと思ったが、当時むさぼり読んでいた正岡子規全集のことを思い出して、当時の根岸の地、現在の鶯谷駅を降りて10分ばかりのところに当時のままの「子規庵」がある。震災で焼けてしまったのを修復して立て直したものだが、子規が縁側に座って眺めた庭が再現されていて花盛りのなか子規がよく綴った「糸瓜(へちま)」が棚にぶらさがっているのを感慨深く見上げたものだった。庵のなかは訪れた者の何人かはいたがひっそりとした旧家に子規と妹と母が住んでいたことを偲んだ。ここに虚子や碧梧桐等が通い、漱石等の文人が訪れたのだ。庭の片隅に結構大きな石造りの蔵があるがこれが子規の蔵書した書物等を保管してあった「獺祭書屋」である。震災にも焼けずに遺ったものらしい。 子規のことは度々記したのでここでは省く。 「獺祭書屋」 「子規門下?」「不折画」 「帝大時代のベースボール姿」 根岸の子規庵の近くに林家三平の記念館もあるそうだったが、気力もなく断念した。後で行けばよかったと後悔した。 東京滞在中もう一カ所行ったのが、浅草演芸ホールである。寄席という所に足を運んだのが生まれて初めてで、その日一日浅草だけを歩き回ってくたくたになっていたのだが、同行した家族と待ち合わせの時間が遅い時間だったためそんなことになった。昼席との入れ替わり時間で客はほぼ満席だった。 しかし寄席のトリは漫才のナイツだったのに、知らずに早めに出てしまった。
浅草観音に寄ったついでに吉原のあったあたりを是非みてみたいということで裏手に廻って探したが、わずかに「大門」と「みかえり柳」らしきものがあったきりであった。落語の郭噺や隆慶一郎の本に出てくる痕跡はほとんどなかった。 学生時代名古屋にいたので京都や金沢、木曽路などを巡ったものだったが、今はそんな気力もない。 もし今後外国旅行をするならイタリアとスペインには行ってみたい。須賀敦子のエッセイに出てくるアッシジなどの土地を巡ってみたい気がしている。スペインならピカソやカザルスの育ったカタルニアやあのゲルニカなどのある北部バスク地方の土地を訪ねたい。いずれにしても通常の観光ルートにはない所だろうから訪ねるとしたら経費も交通手段もかかったり複雑なのだろう。でもそういう所ににこそ行く甲斐があるのだ。ありきたりの観光地を訪ねて何が面白いというのだ。 話は余談になるかも知れないが、道東にいた頃カヌー狂いした時期があった。道東の川の川下りや湖はほぼ隈無く漕いだ。多分前人未踏という川や秘湖もあった。なかでもシュンクシタカラというアイヌ名のどことの川とも繋がっていないエメラルド色の湖面は忘れられない。林道を何キロも車で分け入った先にあり、湖の周りは路肩の危ういところで危うく脱落するところだったが、湖面に至る道はなく崖のような斜面をカヌーを引っ張ってやっと降りて湖面にこぎ出すドキドキ感は堪らない。波ひとつたたない湖の奥に湖の底から湖面に頭を突き出している原始から生成したかのような樹があって、底を覗くとそのおどろおどろしさに身震いするほどだった。一回り漕いでいくと立木に一羽の鳥がとまっている。なんと水鳥だと思っていたオシドリが木にとまっているのだ。野鳥にも関心があったのでよく一眼レフでバシバシ撮っていたものだが、望遠レンズが貧弱でその姿をとどめることはできなかった。 カヌーのいいところのひとつは、普段みる視界に比べ低いことにある。したがって路上でみる景観ではみることの出来ない視点で景色をみることになる。まして川を下るルートであるからなおさらである。思わぬ水鳥に遭遇することもある。釧路川の中流で湿原にかかるあたりで一瞬であるが青いものが目の前をよぎったのはかながねみたいと思っていたカワセミであった。 カヌーでの川下りの旅も旅のひとつだろう。アウトドア全般大抵のことはやった。形から入る方で道具などを揃えるそれらにかかる経費も馬鹿にはならない。しかし観光地巡りをしている人間には到底味わえない別の価値観がある。 今僕は滅多に外には出ない。愛犬がいなくなってから散歩さえしなくなった。たまに買い物で出掛けても目的のモノを買ったら余計なことはせずに即座に店を出る。デパートなどにつき合わされるのはまっぴらご免である。書店に行くこともなくamazonなどに注文して済ませている。出不精も極まった感がある。還暦をすぎて体力の衰えはあるのだろうが、体にいいことなど何一つしない。 旅もいいのだろうが、本に出てくる地名をGoogle Earthで巡っている方が今の僕にはあっている気がする。
by jamal2
| 2016-09-20 23:56
| 旅
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