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柳原燁子(白蓮)という人

 
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 何の切っ掛けか柳原白蓮こと燁子に異常に興味を抱いてしまった。
 石炭王伊藤伝右衛門に二度目になる再婚をし、何不自由ない生活だが、愛のない不毛な生活から逃れ宮崎という年下の活動家のもとに嫁いだ数奇な人生。
 これは長谷川時雨が書いた『近代美人伝』上下巻の下巻のなかに綴られていたのを今になって読み返した。これがkindle版でそれぞれ個人別になっているのをみつけ、本編からの抜粋であることがわかってなんだということになったのだが、明治大正の女傑長谷川時雨にかかっては、見事な要訣を得た一文となっている。
 
 野上弥生子が明治大正の女流作家で誰を選ぶとなったら、平塚らいてう、与謝野晶子などもいるが、やはり長谷川時雨につきるとまで言った。松岡正剛は、鳥居民が書いた『横浜富貴楼お倉』のお倉と並べて時雨の女傑ぶりを讃えたが、お倉の所へは明治の名だたる元勲たちが通って相談ごとをしたなかには、歴史を動かすほどのこともあった凄い人だったようだが、それと並ぶのが長谷川時雨だった。
 その時雨が描いた白蓮のほんの一握りの人物像を書いたものだが、白蓮を隈無く知りたくなる切っ掛けとなる。
 あの菊池寛が書いた『真珠夫人』は白蓮がモデルだとされる。昼ドラにもなったが、殆ど見てはいない。序でに村岡花子の生涯をドラマにした「アンと花子」?(反対か?)では中心的な存在として白蓮を登場させていた。その時の妖しげな印象が残っていたのか、今になって白蓮を知りたくなったというわけである。

 文庫でいうと約20頁程度の記述だが、なかに挟まれた『踏絵』という意味深な題の白蓮の歌集の一部が引用されている。
 敢えてこの歌集を得たいとは思わないが、25首ばかりが載っていて、衝撃的なのは、新聞に発表された伊藤伝右衛門宛の「絶縁状」である。
 結婚当初は「筑紫の女王」と持て囃される一方、「華族の令嬢が売物に出た」と噂され何かと話題に上ったが、実際の生活は「全く愛と理解のない」ものであったことなどを綿々と綴っている。これは伝右衛門のところに手紙が届く前に新聞発表されたもので、後に「白蓮事件」で世間を騒がせたものだが、時雨の記述にはワシントン軍縮会議に出席した外交官らの間でも大問題となったほどであったことを記している。
 出奔した先の宮崎龍介とのことは殆ど触れられてはいない。
 まず僕としては菊池寛の『真珠夫人』が読みたくなり、また長谷川時雨の『近代美人伝』上下を読み返す切っ掛けとなったことを喜んでいる。
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by jamal2 | 2017-01-20 15:16 | | Comments(0)


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