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「詩とパンの店モンクレール」


 昨日「詩とパンの店コンクレール」に行ってきた。
 道立近代美術館の近くにある店で、想像していたより小さな店であった。
 中に入って前日ネットでみた「読書会」のチラシを探したがそれはなく、とりあえず店内を見回してみた。
 レジでパンと飲み物をあらかじめ注文し、席に座って持って行った富岡多恵子の『中 勘助』を読みながら注文の品を待っていた。
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店内には殆どが詩の本であまり興味がなかったので、再び読書を続けた。
「読書会」は毎週木曜日ということだったが、会費のこともあるので来月15日以降に来ることにした。 

 帰りがけ昨日同様図書館に行くことを思いつき立ち寄った。
 昨日は、『網野 菊・壺井栄・幸田 文集』を書棚から持って来て閲覧室で読んでいたが、閉館間際にアナウンスで10冊まで借りれるという事だったので、やっぱり借りることにした。
 閲覧室で読んだのは幸田 文の『流れる』で、暫く閉館時間まで読んで出た。
 
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by jamal2 | 2018-02-28 05:09 | 日記 | Comments(0)

久しぶりの図書館

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 昨日は免許の更新があるので、まずやっておかねばならない事をすましてしまう。
 11時開始と知ってはいたが、なかなかたどり着けず四苦八苦した。まず前もってノートに書いておいたメモを頼りに目的地に向かったのだが、やっぱり駄目で途中二軒のコンビニで運転試験場の場所を教えてて貰い、やっと二軒目の店で教えて貰った通りにいくと、果たせるかな目的地に着くことができた。
 試験場につくと既に時間が過ぎていて、今度は2時からだと案内されたので、その時間までどこかいいところはないかと探した結果、近所のマクドナルドのドライブスルーで食べることにした。
 約2時間食べながら持って行った須之内徹の『気まぐれ美術館』を読みながらチーズバーグセットを食べた。
 予定の2時まで眠なったので、試験場前で残ったアイスコーヒーとポテトチップスを食べ食べ、読みかけの本を読んでいたのだが、やっぱり眠くなって寝てしまった。

 2時近くなって試験場の3階のベンチで休みながら読書の続きをしていると、案外早めに呼ばれて、1時間講習を終え免許更新を済ますことができた。

 その後前の日に見た動画をヒントに図書館で読書会のようなものはないかと、近所の新琴似図書館のサイトを覗いてみたのだが、中央図書館の「元気カフェ」というのをみつけ、四時頃問題なくそこにたどり着いた。
 思い描いていた読書会などのチラシもなく、中央図書館の「元気カフェ」もそのときには知らなかったのだが、既に休止状態だと教えられ、ガッカリして検索機で野上弥生子のまず全集を探したがそれはなく、次に小林秀雄の著書を探したのだが、そのときは出て来なかったが、書棚を見回してこのあたりだと見当をつけた場所に、野上弥生子のもみつかり閲覧室で暫く読んでいた。
何か思いつく度に出たり入ったりして少々迷惑をかけた気がする。

 昨日借りてきたものは、「長與善郎・野上弥生子集」日本文学集監修の『小林秀雄』、澤地久枝の『二千日の嵐』『家族の樹 ミッドウェー海戦終章』であった。二週間の期限なので、その日届いた富岡多恵子の『中 勘助の恋』などはとりあえず保留にし、できるだけ集中して読もうという意識が働いたのか、今までにないスピードで読んでみると、案外集中力が働いてすすっと頭に入ってきた。
 昨日読んだところは「真知子」で、大凡のとこが理解できた。随筆をと思っていたのだが、それもありかと続けて読んだ。

by jamal2 | 2018-02-27 05:27 | 日記 | Comments(0)

寺田寅彦『寺田寅彦随筆集 第一巻』より

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 以前抜粋した寺田寅彦の『寺田寅彦随筆集 第一巻』から残りの箇所をここに載せておこう。
 まず、「科学者と芸術家」から
 「科学の法則や事実の表現は、これを言い表す国語や方程式の形のいかんと問わぬ。しかし 芸術はその事物そのものよりはこれを表現する『方法』*にあると言わねばならなぬ事はあるまい。しかしこれもそう簡単ではない。なるほど科学の法則を日本語で訳しても英語で表しても、それは問題にならぬが、しかし法則自身が自然現象の一種の顕し方であって事実その物ではない。
ただ言い表し方が多様でないばかりで必ずしもただ一つではない。
芸術の表現しようとするのは、写してある事物自身ではなくてそれを表されるべき『ある物』であろう。(ただそのある物を表すべき手段一様でない)国語が言ってしない。しかし強いて言えば、一つの芸術品はある言葉で表した一つの『事実』の表現であるとも言わぬ事はない」
  更に
 「科学者の中にはただ忠実な個々のスケッチを作るのみをもって科学者本来の勤めと考え、すべての総合的施策を一概に投機的として排斥する人もあるかもしれない。また、反対に零細のスケッチを無価値として軽蔑する人もあるかもしれないが、科学というものの本来の目的は知識の系統化あるいは思考の節約にあるとすればまずこれらのスケッチを集めこれを元として大きな制作をまとめた渾然たる系統を立てるのが理想であろう。
これと全く同じ事が芸術について言われるであろうと信ずる。」

 これを聞いてみるとたとえ科学者といえども「普通のこと」を日常茶飯事に考えていなければならないということである。
 頭のいい人は案外「普通のこと」をまともに考えたり行ったりするのが不器用な場合が往々にしてあるものの様に思う。
 こういう人はとかく「全体」より「部分」にこだわるものである。所謂林を見て森を見ずということであろうか。
 やってみもせずに、予測をたててそれで済ましている頭のいい人より、石橋を叩くように実際に体験してみるような実直さが本当は必要なのではないか。
 以前僕はこう考えた、
「『本物』とは完成された姿のことを言うのではない。常に「途上」であることを示すことこそ「ホンモノ」なのだ。 
「知的な者には共通項が多いがその反対には共通項は少ない。」とか、これはこの際あまり関係ないが、更に付け加えると、
「確実なものほどつまらないものはないが、これほど安定したものはない」とか「限りの向こうが見える人間は幸いである」とか考えたりもした。
 これは誰かの引用になるが、参考までに
 「知的な人間とは」というタイトルで、以下
 ①異なる意見に対する態度を図式化すると、
 相手を尊重or攻撃
 ②知らないことに対する態度
 喜び、恐れず、学ぶor恥と思う、学ばない
 ③人にものを教える時の態度
 教える力がなくてはいけないor教えるには相手に「理解する力」がなくてはならない
 ④知識に関する態度
 損得抜きに知識を尊重or何のために知識を得るかはっきりしないと得ない
 ⑤人を批判するとき
 相手の持っている知恵を高めるための批判or相手の持っている知恵を貶めるための批判


by jamal2 | 2018-02-25 05:43 | | Comments(0)

最近のルーティン

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 今日はこの所のルーティンで朝からブログに投稿したもののアクセスを気にしながら、記事一覧もみて、そこから何か良いネタはないものかと漁ってみていた。
 今日に限ってまだブログに掲載していない作品をみつけ、ブックレビューサイトから拾って改めて載せてみた。
 今日改めて載せたのは、車谷長吉の『塩壺の匙』と、中谷宇吉郎の『続・冬の華』、それから折口信夫の『死者の書・毒身丸』といったところで、午後からになるが、「読書におけるフェティシズム」という以前掲載した記事を載せ、改に「シッポのある天使」という随筆を以前書いた記事の編集ではあるが、載せてみた。最後にまだ掲載していなかった向田邦子の『父の詫び状』を載せてみたのだが、こういった作品の以前のように書けるようになりたいものだと、我ながらおもったりしたものだった。
 
 時間を戻すと、ひとしきりの作業が終わり、漸くピアノのレッスンの時間となった。
 最近弾いているものと言えば、ベートーベンのピアノソナタ26番「告別」である。今まで弾いていた31番や32番に比べ割かし弾きやすい曲で、片手ずつの地道な練習方法では安心して弾いていられる。弾いていて気づいたのだが、第二楽章にはスタッカートのある部分があるのだが、どんな音楽でも「そこそこ」というポイントがあって、まるで背中を掻いて貰っているような「そこそこ」というものがある。
ジャズであれ、ロックであれ同じ事で、例えばビートルズの「LET IT BE」の映画を見ていて、これは15歳の時から散々みているわけで、四人がどういう動きをするかは見る前からわかってしまう。「え、そんなとこまで」というようなポイントまで知っているわけだ。ざっと、みていても矢張り「そこそこ」というポイントがある。
因みにその映画をここに載せておこう。

たとえば、ジョンのトレモロの弾き方だったり、ジョージの和音の調子だったり、リンゴのドラムのアタックの具合だったりで、どのポイントでそれらが挟み込まれてくるかまですっかりご存じというわけだ。
 そういった「そこそこ」に填まるとすこぶる気持ちがいいのである。
 というわけで苦戦しつつも、「そこそこ」というポイントをうまく表現したと思っているところである。
さてはてこのまま安逸な練習を続けていていいものやら、少々迷うところではあるのだが、両手を合わせて弾けばそう容易ではないと思うから、後1週間くらいはこのまま続けようかな?(ホッマカイナ)

 午後から、向田邦子の「猫自慢」と「父の詫び状」を聞き、更に『眠る盃』の中から、「伽俚伽」「噛み癖」「猫自慢」「六十グラムの猫」「マハシャイ・マミオ殿」「隣の犬」「犬の銀行」「勝負服」を読んだ。そしてそれを更にFacebookに載せたりもした。

 

by jamal2 | 2018-02-24 18:38 | 日記 | Comments(0)

『父の詫び状』向田邦子

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 須賀敦子『トリエステの坂道』のことを書いていて、彼女の文体から匂い立つものに向田邦子を重ね合わせることが出来る気がして、こんなことを文中に挟んだ。

 1929年(昭和4)兵庫県武庫郡精道村(現芦屋市翠ヶ丘町)生まれである須賀と奇遇なことに同年東京で生まれた向田邦子との少女時代の家族特に父との関係を綴った文体から匂い立つ上手く説明出来ない類似を感じた。

 向田邦子の『父の詫び状』の一節で、少女時代に自宅に客がくると靴を揃えて並べる役を邦子がやることになっていた。そこへ酔った父が通りかかったので、お燗の支度が気になっていたのだろう、
「お父さん、お客さまは何人ですか」と尋ねるといきなり「馬鹿」とどなられた。
「お前は何のために靴を揃えているんだ。片足のお客さまがいると思っているのか」靴の数を数えれば客の人数は判るではないか。当たり前のことを聞くなというのである。
 
 そのことを邦子は後々覚えていた。
 
 また女学校の頃、仙台に父が赴任していた頃、どぶろくでしたたか酔った客が敷居に吐いた吐瀉物が凍ってこびりついているのを母親が凍てつく玄関で始末しているのを見かねて「あたしがするから」と敷居の細かいところに詰まったものを爪楊枝で掘り出し始めた。そこに通りすがった父は感謝の言葉もなく無言で行きすぎた。仙台から東京に帰る時も「じゃあ」と格別のことばもなく別れた。
 ところが東京に帰ると、父から手紙があって、終わりのほうに「此の度は格別の御働き」という一行がありそこだけ朱筆で傍線がひかれてあった。
 
 それが父の詫び状であった。
 
 という件などを読むと明治・大正・昭和初期で幾度かの戦争を潜って来た父親像というばかりでなく、父と娘に特殊な機微があるのを須賀・向田という女性が描き出す筆致に浮かび上がってくる共通項が印象的であった。
by jamal2 | 2018-02-24 18:01 | | Comments(0)

「シッポのある天使」

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 『シッポのある天使』

「ハル」

今まで玄関で寝ていた我が家の犬が、僕の書斎に出入りするようになり、かみさんが叱るのも言うことを聞かなくなり、居座ってしまう。
 ただ今ぐっすり寝込んで時折手足をピクピクさせながら気持ちよさそうに僕のベッドの下で寝ている。
 昨日シャンプーをして貰ったついでに、防寒兼抜け毛防止のフード付きのジャンパーをかみさんが着せた。
 

愛犬ハルが亡くなって二年たった冬、僕の書斎にしている部屋の窓の外で猫の鳴き声がしたのに気がついた。夏場家の裏で喧嘩している声をよく耳にしていたが、あの猫だったのだろう。耳はちぎれ、片目は潰れた哀れな黒猫であった。冬場に餌も見つからず鳴いていたのかもしれない。しかしハルが亡くなってから妻はもう動物は飼わないと宣言しに釘をさした。哀れだが放っておくより他ないと窓の外を眺めるだけにした。その猫のことを「ヤンキー猫」と称した。喧嘩で負けてばかりいるくせにやめられない哀れな奴だった。本の頁をめくる傍ら奴の声がする。居たたまれなくなって頁を閉じることもあった。


「ヤンキー猫」 

ウチの庭に時々現れる猫がいる。いつも家の裏で喧嘩している声がして、時々顔を出すと耳はちぎれ、目は片目すがめで喧嘩に負けてばかりいる奴だ。その黒猫が時々「ニャーオ」と鳴くのでみるとこっちと視線があう。可愛そうな奴だなとは思ったが、餌を与えたりすると居着く心配があるので放っておく。もっとかわいげのある奴なら飼ってもいいかなとは思うが、奴にはその気がおきない。でも、気になって時々庭に面したドアをのぞき込んでみる。

猫を題材にした作品は山ほどあるが、まともに読んだものはひとつもない。漱石のが一番ポピュラーだが、漱石の息子が書いた『猫の墓』というのは漸く読んだ。

春になってゴミ出しに出た時、「ヤンキー」は無事冬を越せたらしく土管の蓋のうえに佇んでいた。飼ってはいなくともこうして時々顔をみせてくれるのを僕は喜んだ。同類相哀れむの心境であったのか。

読書の合間に頭休めにぶらり2丁ほど離れた公園まで散歩に出掛ける。途中の川辺の反対側の路上で老婆がなにやらにパン屑でもまいている様子があったので、もしやカルガモでもいるのかと道を渡って反対側にいってみると大ぶりの鯉が多数泳いでいた。その様子を暫くみていたが、あまり興味もないので歩をすすめ公園に向かった。人影も殆どない広い敷地のなかの座り心地の良さそうな石に腰掛け煙草を一服吸ってポプラの並木などを眺めていた。日差しは並木に遮られて暑くはなかったが、昨日はかなり気温もあがったようだった。帰り道気がついたのだが、道行く人は皆半袖になっている。自分はまだ薄手ながらも長袖であった。そうか、もう半袖でいいのかと気づき帰宅して半袖を出して着替えた。

今年の冬は随分と雪に悩まされたが、呆気なくももう夏の兆しだ。帽子も被らず歩いていると頭がひりひりするほどの日差しだ。かといって汗もかかない乾いた空気である。今が一番過ごしやすい時期かもしれない。といっているうちにまた悩ましい雪の季節が来るのだと思うと今のうちに外の空気に触れておこうと思う。
とはいえ行く宛があまりないのは困ったもんだ。近所に喫茶店でもあれば良いが、あるのは犬のレストランだけだ。ハルが生きていたら連れていけるのにそれも叶わない。時々通ってくるこの店目当ての犬連れの者が駐車場まで行く様子を通りすがりに出くわすが、あまり可愛いと思って見る種類の犬がない。所謂「ペット」として見せびらかしに飼っているようで好きになれない。寧ろ近辺の家に飼って散歩している犬の方が好ましく思える。

「南極大陸」最終回を再びみる。必死に生きようとする犬たちの目の瞬きが愛おしかった。その瞬きが閉じてしまう、二度と再び瞼があかぬこと、そのことに涙した。愛犬を持ったものにしかわからない愛おしさ。それを必死で表現したキムタクの表情が心に残る。南極大陸は犬たちの物語でもある。我が家ではもう二度と犬を飼うことはあいならぬとなっている。しかしあの眼差し、臭い、ぬくもり、動作・・・全てが愛おしい。帰ってこいハル!

パソコンのディスクトップ背景画面には相変わらず愛犬ハルの遺影(?)が待ちかまえてくれている。パソコンを起動するたびに出てくるその画面に、「いたの・・・」とか「ハジュ」とかささやいている自分に気づく。
そういう段階を通過すると、ハルのいなくなった喪失感が埋め合わせようももなく、他のものに転嫁している時なのだ。ムクムクの毛に鼻を突っ込むとほのかに香る奴の臭い。ほぼ毎週風呂場でシャンプーさせてやっていたから犬臭さがない。風呂からあげてかみさんがハルを後ろ抱きにしているところを、僕がバスタオルで手足を拭いてやる。息子たちにも似たような思い出があり、「ようくん(長男坊)のダイチュキナおっぷろはいるよ~!」と歌いながら入れてやったあのころを思い出していた。
人恋しいくせに、出歩くのが億劫で、だから長電話に頼っている。失ったものへの埋め合わせ。これが高くつくんだな、これが。
「犬は飼いませんからね」と朝一怒鳴られてシューンとなるしかなかった。あちこち心がけてもらった人たちにはスビバセンネ!というしかなく。やはりハル以上の犬はいないという思いを共感しているのが、我が夫婦の掟というところだろう。

ハルは四月が誕生日と妻が勝手に決めたのだが、当時小学生だった長男が拾ってきた日が多分四月だったのだろう。それで今年二十歳となる。
拾ってきた犬の不細工な作りに共々笑いを堪えられなかった。体の割に大きすぎる顔、短い手足。耳はピンとたって白い毛並みに悪戯のように背にある一筋の黒い毛並み。子豚を想像する滑稽さに飼うも飼わないもない哀れみともつかない気持ちで家族の一員となった。
 妻が何処で聞いたのか、ハルは何度も捨てられ虐待を受けた経験を持っていると。そのせいか人に媚びない愛想のない犬だった。触られることもあまり好きでない、まして抱かれることなぞ以ての外という感じであった。とはいえ人の気持ちがわかる賢い犬であった。

 義母が同居していた頃、放し飼いにしていたハルは義母が買い物に近所に行く時によくついて回ったようである。二三丁先のスーパーに義母が出向くと後先になってついてきて、買い物が済むまで外でウロウロしていたが、帰るとなるとその旨がわかったように帰り道をまた後先になってついてくるという風であったようだ。

 当時我が家にはもう一匹の犬がいた。名前をガイといったがこの犬の命名は僕がした。長男の名が「よう」次男が「そう」もし万が一、三番目が生まれたら「がい」としようと思っていた。予想外(よそうがい)のがいである。それはなかったので拾ってきた犬の名前に当てた。それで「ガイ」である。
 子犬の頃から車でつれ歩き、当時凝っていたカヌーにも乗せて遊んだ。
 当時カヌー乗りなら誰もが憧れる野田知佑が愛犬ガクと共に川を下るという物語に憧れたものである。二人乗りのカヤックにガクをのせ名だたる川を漕いで下るという憧れの場面を思い描いていた。我が愛犬と共にその境遇をと。
が、それも一回きり。一人乗り用のカヌーだったため直ぐにボディに乗って舟の揺らぎと共に敢えなく着水ということになり、とても流れのある川下りなど出来ようもなかった。「カヌー犬」の夢は果たしようもなかったわけである。
しかし川や林道で全くの放し飼いで、車が動き出すと帰るのだということを察知して戻ってきて飛び乗る。そういう安心感があったのでどこへでも連れて行くことが出来た。

そのガイに子供が五六匹生まれ、そのうち二匹が生き残った。しかしガイはいっこうに子育てをしない。目もさだかにあかない二匹を見守る役目をハルが買ってでた。甲斐甲斐しく鼻先で母親のそばに導いて乳を飲ませようとする。そんなハルの行動に子を持たない雌犬の母性を感じたものである。
 そんな意味からも人に近い賢さを数数え切れぬほど味あわせてくれたのである。

ウチの愛犬ハルが死んでから、犬飼いたい病が始まって、ハルの写真を愛おしく眺めるばかりだ。

今朝ハルの命日が気になってかみさんに聞いたら6月27日だった。夢にハルがドアの向こうにうずくまっていて、「こんなところにいたの」というのをみた。時々そうしていることがあった。ドアが閉まっていてしかたなくいて、しょうがないなというような顔をしていた。朝飯喰って少し寝よう

 
 「トトロ」

僕の実家や独立してから飼った猫は二匹いて、一匹目は余市というところで拾ったから「ヨイチ」とつけた。これは僕が中学に入ったばかりの夏からいて、高校の3年あたりで気管支炎のような感じになって、ひきつけを起こしたような呼吸困難になって死んだ。二匹目は、独立してからで、幼い息子たちの大好きなアニメ宮崎駿男氏の「となりのトトロ」からつけた「トトロ」。イヤ、絵本に出てくる三匹の山羊のガラガラドンがやっつけたトトロだったかも知れない。これが、次男がまだ幼くやたらと噛みついたりするので実家に預かって貰っているうちに、ひょいと表に出たきり居なくなってしまった。どうも野良猫の仲間に入っている内に、猫狩りにあってしまったのではと、実家の母はふと漏らしていた。

 猫は家につくというが、我が家の犬は、ヒトに媚びず寧ろ家についているのかと思うことがある。どこかご都合主義なところが、猫的だ。餌が欲しい時と、ドライブに連れて行って欲しい時と、家に入れて欲しい時以外は、尻尾も振らずそっぽを向いている。まさに唯我独尊。見知らぬ人が来ても滅多に吠えない。ただ、決まって郵便配達のバイクが来ると、途端に吠え出す。きっと、いつか何かやったなと訝っているのだが。


by jamal2 | 2018-02-24 17:14 | 随筆 | Comments(0)

「読書におけるフェティシズム」

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先日青山学院文学部の教授をしている高校時代の友人と飲んだ。とはいっても彼は二三ヶ月前に心筋梗塞を煩い心臓の六割が壊死したということで酒は御法度であったから僕一人で飲んでいたのだが、意外に弁舌は以前とそう変わらずこの電子書籍に話が及ぶやその革新性を述べ始めた。
 話を聞くに新刊書籍が出たと思ったら時を待たずに書店から消えていく状況のなかでのこのデジタル情報の集積が果たす有利性を説いたり、検索機能の優位性を説くなど電子化した書籍の将来性を絶賛している。更に今までの蔵書を小型の電子アイテムに保存することによる量的軽減を忘れなかった。一方紙の書籍は残るという見解だった。ひとえに紙書籍はフェティシズムによって残ると。 
祖父の書棚には、俳句や歌集の類では芭蕉、子規、虚子、青邨、啄木などの全集や稍纏まった量の蔵書の他に雑多な歌集や詩集或いは遺稿集というのが並べられているが、そのその他雑多という著書の嵩が半端でない。蔵書全体の大凡五分の一ほどはあろうか。 
 
 山口青邨の随筆のなかの「積読」読んでいて、床に山積みされ足の踏み場もない書籍の山岳の相当部分は是非読んで欲しいと持ち込まれたものであり処分できずにいる青邨の苦笑いが見えてくるようであったが、祖父のそれもああ多分同様に贈られたものや記念にと贈与されたものではないかと気づいた。余りというか殆ど手が付けられ形跡のないにも関わらずこれらを処分するには先方に悪い気がして仕方なく棚に並べられていたものだったのだと想像する。

 あざけり本の虫とて銀の紙魚(しみ)  青邨 

僕も日増しに貯まっていく蔵書を処分出来ない質で、いつか読み直すかもしれないなどと宛のないことを考え出すと捨てられないでいる。戦後復興期よりやや経って高度成長期に育ったくせに物の捨てられない勿体ない派である。しかしながら引っ越しをするなどの機会に多分読まないというものは、段ボールに入れて物置にしまってしまおうと決断するのだが、そうでもない限り狭い部屋のスペースに書棚を増やしてしまうことになる。さすがに床積みするようなことはしない。第一始末屋の家内がそれを許さないからだ。愛書家というのは一種のフェティシズムで、所謂病気の類だろう。買わずにいられない、読まずにいられない、捨てられないのないないづくしで自然家中はそれらの衝動の結果悲惨なゴミ屋敷とかす。足の踏み場もない、見通しの悪い剣呑な山歩きのようになってくる。どこに何があるかさっぱり分からなくなっていざ目的の本を探すのにかなりのストレスがある。終いにその惨状に家内は怒り出す。 始末屋の家内が無闇と片づけだすとかえって始末に悪い。自分なりの関連で棚に並べていたものを、あっけなく本の背丈を揃えて並べ替えられた日には目も当てられなくなる。棚に預けておくと闇夜に烏、雪に鷺で同じ様な背を見せている表紙から殆どヒステリー状態で記憶を頼りに探すしかないので、ただ今限りのものは机に積んでおくのと片づけられて痕跡を消されてしまうと只でさえ惚けてきているのに、雲を掴むような話になってくる。 
 まさかこのような偶然は滅多に生まれえないのだが、御器噛(ゴキブリ)の類ではないだけに風流ともいえる。 

 読売新聞 2010年7月5日 文化欄に「紙の書店をどうする」という特集で、松岡正剛氏と文芸評論家の前田塁氏が対談している。
 情報端末「iPad」の登場によりデジタル書籍が台頭する兆しを受け今後「紙の書店」がどう対応していくかという内容であった。松岡氏はデジタル書籍の位置づけを、写本、グーテンベルグの活版印刷、鉛の活字、写真植字・・・と情報がメディアを変えてきた・・・と語り出したところで、やっぱりなという感慨である。メディアの進歩の過程で紙からデジタルに移っていくのは当然だとしながら、併しながら相変わらず紙に執着する者もいれば、最先端の技術の恩恵を受けねば損だという論もある。
 僕は完全デジタル派でもなければ、完全紙の本派でもない。両刀使いという他ない。

 携帯電話が今ほど普及してなかった頃に、セルラー社の携帯を持っていたことがある。 ところがその頃の携帯の受信範囲は極限られていて、ちょっと市街を離れると「圏外」の表示が出てしまい、通話が不可能になる。急な用件を伝えたい時に限って「圏外」となっては用をなさない。当時、釧路管内の小さな町で暮らしていたし、野山で過ごすアウトドアにも凝っていたから間が悪かったといえなくもない。トランシーバーに毛の生えた程度の電話器では行く先々通話不可能なのでは話にならない。唯一地震の多かった土地だったので、家電話が通じない場所からの連絡に役に立った程度である。それも何年に一回ということではあるが。その役立たずの「携帯」が今日ほど普及するとは思わなかった。猫も杓子もというが、まさに幼児と認知症の老人以外は持っているという状態になってきてはいるが、固定電話の用途が全くなくなったとはまだいえない。普及度合いの問題というより、一種「棲み分け」的感がある。 
 書籍にしても、そういう「棲み分け」があるのだろう。そこで出てくるのが「本のソムリエ」である。但し話はそう簡単ではない。 
 私は紙派、僕はデジタルというだけではなく、紙でなければパソコンがダウンした時に情報維持できないとか、デジタルだからこそ手軽に持ち運べるというようなことばかりでない。 
 音楽情報手段としてのCDの登場時、同様な戸惑いが愛好家にあった。僕もその一人だが、当時CDの音質が悪かったせいもあって、それまで溜め込んできたレコードを処分するというような迷いはなく、どんなにCDが普及しても手放す気はさらさらなかった。が、次第に音質も向上し新譜となるとこのアイテム以外に手に入らなくなると止む終えず鞍替えせざるを得ない状況になってきた。幕末の攘夷か開国かという議論に近い。あくまでアナログのレコードに執着する人はどんなに新しい情報から耳を閉ざしても、これに執着していた。CD排斥者、CD攘夷論者である。何がレコードに執着させるのか。偏に音質とジャケットであろう。30Cm四方のジャケットがCDのような貧弱なものになっては困る。針音のプチっという音にさえ愛着を抱きながら聴く至福。 
 しかし彼らはほんの一部の愛好家であり、愛すべき馬鹿者、気持ち悪い言葉で言えば「オタク」なのである。 
 しかしこの論法でいえば、紙の本に拘る「紙本オタク」はデジタル書籍の台頭により排斥される運命なのだろうか。紙の本でしか味わえない素材の魅力。装丁の味、紙の臭い、挿絵のレイアウトの妙・・・。そんなものにとらわれてばかりいると松岡氏はそのままではやがてデジタルにくわれる運命を辿ると指摘する。
 そこでこういう本を読んでいるならデジタル、紙を問わずこういうメディアで是非これもという情報のリンクを伝えてくれるような手配師みたいな人が必要になる。彼は持っている知識をフル活動して、必要としている読者にアドバイスしてくれる。ネットを活用しているいると、割合そういうことが手軽に情報を伝えてくれているのを頻繁にみかける。
 松岡正剛の「千夜千冊」はまさに僕にとって彼はソムリエであった。毎日配信される一夜ごとの書籍の紹介。それは単に一冊の書籍を語るばかりか、著者の歴史的位置づけ、履歴、周囲の人物像、著書が持つ位置づけ等を長短交えて紹介してくれる。欲しい本に手詰まったら松岡正剛のこのブログをみれば良いという具合になった。本を決めるには目的意識も大事だが、ほんの気まぐれも大事だと思っている。そこからまた派生してくる著書もある面白さは尽きない。だから最終的には紙の本を手にしてみるしかないのだが、情報としてそこに手がかりを得るものとしてデジタル世界は役に立っている気がする。
 デジタルですべて完結するわけではない。最後は「紙」だという気もしているが、デジタルの簡便さや情報の集積と検索機能の優れてところは見逃せない。 
 ともかく携帯可能な重量とサイズで大容量のデータを集積出来るこのアイテムであれば、家もひしゃぐほどの蔵書もこれに収まってしまうわけであるが、ページをめくる手触りと紙に印字された活字を追うというアナログな作業を愛おしんでいる自分にこれに棹さすか否かの思案橋である。

by jamal2 | 2018-02-24 10:43 | 随筆 | Comments(0)

『第三 冬の華』中谷宇吉郎

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子供の頃、窓の桟越しに降ってくる雪をみていると自分がどんどん上へ上へと昇っていくような錯覚をした。これが路上だとそういうことはないのに窓の桟ごしだと何故かそういう現象がおこるのを不思議に思った。しかし少年だった私にはそういう理屈を追求する頭はない。ただいつまでもふわふわと昇っていく感覚が楽しくてそれに浸っていた。
 
 人工雪の制作に世界で初めて成功し『雪』という随筆を編んだ中谷宇吉郎は東大理学部当時寺田寅彦に師事した。後の彼の研究の背骨になっている。
 中谷は石川県加賀市出身。1900年生まれ。1922年(大正11)第四高等学校を卒業し、東京帝大理学部入学。寺田寅彦に教えを受け、実験物理学を志す。卒業後は理科研究所で寺田研究室の助手になる。ロンドン留学後、1930年北大理学部教授。1931年京都帝大にて理学博士号。1932年(昭和7)ころから雪の結晶の研究を始め、1936年(昭和11)3月12日に大学の低温実験室にて人工雪の制作を世界で初めて成功。

 『第三 冬の華』という随筆集は昭和十三年から十六年あたりまでに雑誌や新聞に発表したものを集めたもので十四編ある。多忙ながらかえって筆が進むという勢いだったらしい。

 師の寺田に比べれば純朴なほどに「科学者」の目が言葉となっている。日常から科学の目を及ばせた寺田の癖を踏襲したとはいえ何か師の寺田とは異なる面を感じる。研究論文でも読むような案配になるが、寺田の散文にはそういうことがなかった。例えば南画に夢中になったのは師である寺田の影響だが、旨く描けないわけを「科学的」に分析する。新聞記事に載った写真に写っている小豆大の顔を判別することができるのに、筆で描き分けられないのは何故なのかを丹念に考察する。科学者でなくてもそういう疑問は沸くものだが、あくまで追求する消息を残すというところが彼らしい。
 
 読んでいるうちに、小理屈であれそれを真正目に据えて読んでみなければ中谷の文章の良さがわからないという気もしてきた。例えば南画に真摯に取り組んでいる姿勢がその理屈の解明にかけている限りそれを正面で受け止めねばならない。南画は鑑賞者との共同作業であると彼は言うが、中谷の文章こそ読者との共同作業でなっている。

 霜柱の研究などは強く印象に残る。「寺田先生の追憶」や「満州通信」にそれをみる。
 霜柱が寒地の土木工学上大切な問題として低温科学の表面に浮上した時である。極寒地では冬土が凍ると持ち上げられ、所謂凍土の現象がおこる。この力は大変強いので北満州では煉瓦造りの家屋がその為に崩壊したりそれよりも困るのは鉄道線路に凸凹が出来て汽車が通れなくなる。北海道でもひどい所では一尺位も持ち上げられるところがあって、その為に被る鉄道の被害は著しいものである。それが実は地下の霜柱によることを当時確かめる事が出来た、とある。
 学生時代にすでにこの事について彼は携わっていた。一学生の研究テーマに過ぎなかったそれを丹念に調べ上げ満州事変後の彼の地での日本人居住区や満州鉄道の実際の問題として翻ってくる。

 中谷の文には科学に携わる者のときめきがほの見えてくる。
中谷の視線にファラディやファーブルのそれを感じるという指摘をある時読んでふと思い出したことがある。
 
 あるイベントで、ファラディの「ローソクの科学」をテーマに北大の大学院生等が企画してくれた。親子連れ50人ばかり集っていくつかの実験をローソクの灯りの下で行った。ときめくような空気の中で幼い子等の目が息をひそめて事の成り行きを見守っていた。

 情けないことにこの数年前の実験の詳細を憶えていないが唯一憶えているのが、一旦消したローソクの炎が、20cm程のガラスの管の先の火によって再び点るという実験だけはおぼえていた。小中学校の科学室の実験を思わせるものだが、不当な森林伐採による地球の危機としていかに地球上に酸素が必要であるかのメッセージと共にこの後の絵本の読み聞かせに引き継がれた。

 読まれたのは『ハチドリのひとしずく』というアンデス地方に古くから語り継がれた民話を絵本化したもので、

森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました

「私は、私にできることをしているだけ」

 こういう民話を子供達に伝えるひとときは先の実験と合わせて中谷の地道で誠実な研究姿勢とイメージが被さってくる。

by jamal2 | 2018-02-24 08:17 | | Comments(0)

『塩壺の匙』車谷長吉

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 大人がみてはいけないと思うような「弱い者」に敢えて指さすというような、人の欠点や弱点をすばやく見いだし、それを窘められるとかえって気になるというような、或いは血の繋がり故に「むごさ」さえ感ぜずにはいられない記憶もある。

 車谷長吉はそういう幼なごころにさえ「むごさ」を暴き出すことの出来る作家の一人だろう。

「詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。ことにも私(わたくし)小説を鬻(ひさ)ぐことは、いわば女が春を鬻ぐに似たことであって、私はこの二十年余の間、ここに録した文章を書きながら、心にあるむごさを感じつづけて来た。併しにも拘わらず書きつづけて来たのは、書くことが私にはただ一つの救いであったからである。凡て生前の遺稿として書いた。書くことはまたひとつの狂気である。」

 これは『鹽壺の匙』という車谷の短編を集めた文庫のあとがきの一部である。
 僕が敢えて幼なごころに焦点を当ててみたのは、幼き者或いは遠い記憶としての幼なごこころばかりのことに目がいってというわけではない。幼き者の脆さは窮地に立った人間のなかにも、年老いて人に縋らざるを得なくなった者のなかにも露呈するからだ。

 生来甘え性な父が80の齢を超え、不自由になった体を持て余し座ったまま母にあれこれ我が儘な言いつけをして煩わせている様子や、どこが痛いここの具合が悪いと言いながら、掛かり付けの医者は自分のことをちゃんとみてくれない、あれはヤブだと勝手な思いこみをして愚痴ってみたり、ともかく自分の方をみて欲しいばかりの甘えで母にポーズをみせているのを端でみるにつけ、益々幼児性が強まっているのを感じるようになった。

 父がどのような育ちをしてきたのかは、それを語る者ももうこの世にはいないから知る術もないが、やはりどこかに満たされずに或いは育ちきれずにきてしまったものが体内深く沈み込んでいたに違いない。それらが80を越え心身ともに弱ると共に抑制の利かない幼児のこころを沸き出させているように思える。

 だから、追いつめられ窮地に立った時に自覚する「弱さ」「脆さ」は幼なき時の脆弱さに通じるものがあるという直感と、それが微細な感覚、完全ではない断片の感覚=フラジャイルなものへの憧ればかりではなく、「むごさ」をもうちに抱える心の有りようと相まって幼なごころを球心的に探ってみたい気になっている。
 
 『吃りの父が歌った軍歌』は、車谷の『鹽壺の匙』に集められた短編のひとつであるが、全くもって「救い」の少ない話である。併しながら少なくとも作者には、書くことによって救いを得ていると思われる。だが併し読み手は救い以外の「何か」を確かに得ている。「気づき」だろうか。文学が共通して読者に与える「何か」だろうか。それ以上のことを期待すること自体、お門違いなもの故に「私」小説とされているのだろうか。併しながら毒虫のごとく忌まれ、さげすまれ、無意味なものとは到底思えない。

 この短編にも車谷の「幼なこころ」が描かれている。大人の複雑な関係が投影された屈折した、言うに言えない鬱屈した幼なこころ。底の抜けたバケツに水を注ぎ続けるような心許ない不安感から、必死で藻掻き出ようとするがいつも当てのはずれた悲運をかぶる羽目になる。

 車谷が拾い出す幼なごころの情景は、懐かしさと共にせつなさを伴った子供心に潜むむごさが漂っている。

 母の胸にむしゃぶりついて乳を呑む弟の姿に、紙くず箱を持ってきて「のぼちゃん、ここへ捨て」と言い、自分もと一度唇を出すと「あんた、兄ちゃんやろ」と手酷く撥ねつけられ、恥ずかしさで顔に火が出る思いをしていた頃、縁側で絵あわせをしていると飼い犬が寄ってきて「おいでおいで」をする。それをみていると母が来て一緒に絵あわせをしてくれないものかと思っている自分の心が映って、そういう飼い犬の惨めさ思って、お前なんか死ねと思った。と、そこへ弟が這いだしてきてせっかくの絵あわせを滅茶苦茶にしてしまう。逃げても追ってくるので、癇癪を起こして弟を叩く。そうすると火がついたように弟がなき、母から「あんたは弟を一つも可愛がってやらへん子ゥや」とまた叱責をうける。疳の虫が堪え性がなくなって、突然ひきつけを起こし、母の顔に裁ち鋏を投げつける。結果、背中に灸を据えられるか、便所の壺に溜まっているものの上澄みを呑まされる羽目になる。

 叔父の婚礼の日に、自分より一つ上の叔父(母の末弟)が水鉄砲を持ってきていて、自分をねらい打ちする。それが妬ましく奥の間土間に入っていた。誰もいなかった。焜炉に大きな薬缶がかかっていて、湯が滾っていた。そこへ漸く歩き始めた弟が内土間から現れて、両手を広げてよろよろし始めた。面白いものをみつけた風で薬缶に寄っていく。注ぎ口から噴き出している蒸気にさわりたい。両手を前につきだして近づく。
「行け、行け」とそこで思った。
 弟は薬缶のうえにつんのめり、婚礼がめげる騒動となった。自分は土蔵の二階に隠れて、鉄格子の嵌った高い小窓から春の空を見ていた。弟の顔に火傷の痕が残った。

 こういう情景は、兄弟を持つ自分の記憶には探ればいくつも種があって疼く。ぬぐい去れない「むごさ」だが懐かしくもある。
 だが年端がゆくと、軋むように近かった関係も次第に疎遠となり隙間が出来て、久しぶりに会うと面映ゆくうち解けられない遠慮がちな、他人を見るような関係となる。

 ここにもそんな情景があって、いちいちの素振り行動が余所余所しく感じられ、噛み合わせの悪い感慨を持って遠くから眺めるようになってしまう互いの心の様子が描かれている。弟の顔には、幼い頃の火傷の痕は依然くっきりと残っていた。
 
 拾い出せば、いくつも肉親ならではの傷の疼き我ながら自覚し気づかされる場面があるのだが、それだけに車谷にとって書き残す残すことで「心の救済」としたかった思いが伝わってくる。

by jamal2 | 2018-02-24 08:09 | | Comments(0)

最近思ふこと

このところずっとピアノを弾き続けていたのを一旦そればかりにするのを辞め、随筆を書こうと決めたので、(かなり前かそう思っていたのだが)つい最近はピアノと読書を半々にするようにしている。最近読んだものと言えば、野上弥生子『一隅の記』、夏目伸六『猫の墓』、内田百間『百鬼園 大貧帳』、<内田百間『第二阿房列車』、向田邦子『父の詫び状』、向田邦子『眠る盃』、須之内徹『絵の中の散歩』、寺田寅彦『柿の種』、寺田寅彦『寅彦随筆集』第一巻 、小林秀雄『本居宣長』上 それに順不同になるが夏目漱石『我輩ハ猫デアル』これは明治村監修のものであるが、それに殿山泰司『JAMJAM日記』、植草甚一『植草甚一読本』、といったところを完読したのやら、気が移ってざっと読んで済ましてしまったものなどがある。 この中からひとつだけ選んでかいつまんでみると、まず寺田寅彦の『柿の種』であるが、良さそうなところを抜粋すると、 まず冒頭に僕の好きな 「宇宙の秘密が知りたくなったと思うと、いつのまにか自分の手は一塊の土くれをつかんでいた。 そうして、ふたつの眼がじっとそれを見つめていた。すると、土くれの分子の中から星雲が生まれ、その中から星と太陽が生まれ、アミーバーと三葉虫とアダムとイヴとが生まれ、それからこの自分が生まれて来るのをまざまざと見た。・・・そうして自分は科学者になった。 しばらくすると、今度は、なんだか急に唄いたくなって来た。 と思うと、知らぬ間に自分の咽喉から、ひとりでに大きな声が出て来た。 その声が自分の耳にはいったと思うと、すぐに、自然に次の声が出て来た。 声が声を呼び、句が句を誘うた。< そうして、行く雲は軒ばに止まり、山と水とは音をひそめた ・・・そうして自分は詩人になった。」 これなどは「天地創造」的でもあるし、「人格」というものがどのようにして造られるかという摂理を顕しているようにも思える。というところと「客観のコーヒー主観の新酒哉」という句を含む件で、その箇所を抜粋すると、「芸術は模倣であるというプラトーン説がすたれてから、芸術の定義が戸惑いをした。ある学者の説によると芸術的制作は熱望するものを表現するだけではなく、それを実行することだそうである。この説によって、試みに俳句を取り扱ってみると、どういうことになるのであろうか。恋の句を作るのは恋をすることであり、野糞の句をつくるのは野糞をたれる事である。叙景の句はどういう事になるか。それは十七字の中に自分の叙する景色を再現するだけではいけなくて、その景色の中へ自分が飛び込んでその中でダンスを踊らなくては、この定義に添わないことになる、。 これも一説である。少なくも古来の名句と、浅藻な写生句などとの間に存する一つの重要な差別の一盃を暗示するようである」というものであった。 もうひとつ特に気になった箇所を引き出すと、「二階の欄干で雪の降るのを見ていると、自分のからだが、二階といっしょに、だんだん空中に上がって行くような気がする」という箇所で、これなどはまさに幼少期に自分が体験したものなのだが、こんなことは誰にでもあるこを気づかせてくれた。まさにフラジリティというもので、「フラジャイルとは、『もろさ』や『おぼつかなさ』などとも近隣の概念で、したがって主張とか説得とか論理とかいうものから遠く離れている。そのくせ、そこにそうしてあるということが精一杯である、ということにおいては実に弱々しくない。一見弱々しそうにみえるのに、そのことがそこだけで成立しているために、たいそう強いものになっている、そんな感覚。」というような感覚を改めて気づかせてくれるものであった。後は気になった箇所を留めておく。「ダンテはいつまでも大詩人として尊敬されるだろう。・・・だれも読む人がいないから」 と意地悪ヴォルテーアが言った。 ゴッホやゴーガンもいつまでも崇拝されるだろう。・・・ だれにも彼らの絵がわかるはずはないからである」 非常に皮肉たっぷりな一遍である。 次に、 「油絵をかいてみる。 正直に実物のとおり各部分の色と、それらの各部分に担当する「各部分」に塗ったのでは、できあがった結果の「全体」はさっぱり実物らしくない。全体が実物らしく見えるように描くには、「部分」を実物とはちがうように描かねばいけないということになる。印象派の起こったわけが少しわかって来たような気がする。 思ったことを如実に言い訳するには、思ったとおり言わない事が必要という場合もあるかもしれない」これは文章を書くうえにも共通することで、「部分」の総体が「全体」となり、ある意味特定の文章の形式が多に転化することもありうるということになるという気が常々していたことに通ずる。 更に付く加えると、「あたりが静かになると妙な音が聞こえる。非常に調子の高い、ニイニイ蝉のような連続的な音が一つ、それから油蝉の声のような断続する音と、もうひとつ、チッチッと一秒ににかいずつ、繰り返される音と、この三つの音が重なり合って絶え間なく聞こえる。頸を左右にねじ向けても同じように聞こえ、耳をふさいでも同じように聞こえる。これは「耳の中の声」である 平生は、この声に対し無感覚なっているが、どうかして、これが聞こえ出すと聞くまいと思うほど、かえって高く聞こえて来る。 この声は何を私に物語っているのか、考えても永久にわかりそうもない。しかし、この声は私を不幸にする もし、幾日も続けてこの声を聞いたら、私はおしまいには気が狂ってしまって、自分で自分の両耳をえぐり取ってしまいたくなるかもしれない。 しあわせなことには、わずらわしい生活の日課がこの悲運から私を救い出してくれる。同じようなことが私の「心の中の声」についても言われるようである」 実は小林秀雄の音声をいくつか聞いたなかで、ゴッホの狂気について語っているところがあったのだが、彼が自分の耳を女にプレゼントしたというエピソードを聞いて、もしかして寺田がここで書いたような状況があったのではという気がしたものだった。 実は僕にも同じような体験があって、例えばネットで動画を見た後で、読書をし出すと先ほど聞いた気になるフレーズが繰り返し繰り返し耳に残ってなかなか読み進めるのに苦労することがよくある。何が書いてあるのかさっぱり不得要領になってしまうのである。 もうひとつ付け加えると、一個の自分という人格が分離しているという錯覚が随分と長い間続いた。 統合失調だのなんだのという問題ではないのだが、これも同じく小林秀雄の講演のなかで、「個性」について語っているなかで「人格の分離」ということに触れている。色々個性が一個人格のなかに存在するとはいえ、「ひとり」は一人なのだというこを強調していた。 僕もつい最近そのことに気づき始めていて、こんなこを思ったものだ。 「我 哲学するものとして実在を疑うより科学的な実在を肯定する方を選ぶ」 ということである。 長年このことを悩み続けてきたのだが、どうやら僕もひとりになったようだ。 因みに寺田寅彦はこんなことを言っている 「哲学者の中にはわれわれが普通外界の事物に称するものの客観的の実在を疑う者が多数あるようであるが、われわれ科学者としてそこまで疑わないことにする」


by jamal2 | 2018-02-23 08:22 | 随筆 | Comments(0)

本、ジャズ、映画・落語・プラモデル・・・ディレッタントな日々


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