人気ブログランキング |

タグ:立川談志 ( 4 ) タグの人気記事

落語の世界 立川談志

b0068450_18175922.jpg
  落語家三羽カラス+ワンでというわけではないが、談志を紹介したい。

 7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、1936年昭和11年〉1月2日 - 2011年平成23年〉11月21日)は、東京府小石川区(現:東京都文京区)出身の落語家落語立川流家元。本名、松岡 克由(まつおか かつよし)。

古典落語に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論感覚の両面から落語に挑み続けた。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価されたが、その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。落語のみならず、講談漫談をも得意とするなど、芸域の広さで知られた。初高座は新宿末廣亭における『浮世根問』。

自ら落語立川流を主宰し、「家元」を名乗る。出囃子は「あの町この町」「木賊刈」(とくさがり)。5代目三遊亭圓楽3代目古今亭志ん朝5代目春風亭柳朝(柳朝没後は8代目橘家圓蔵)と共に「江戸落語若手四天王」と呼ばれた。

参議院議員(1期)、沖縄開発庁政務次官三木内閣において36日間)、サイバー大学客員教授などを歴任した。


 談志についてもエピソードがいくつかあるので以下を参照願たい。

 

もうこれでエピソードも噺の方もいいとは思うが、他に三つほど付け加えてみよう。

 

 というわけで人情噺にシリアスな噺、それにまさしくお笑いという感じで楽しませてもらったが、今頃あの世で管巻いているのかね。コンチクシュー!

 ということでおしまい。



by jamal2 | 2017-11-05 18:18 | 落語 | Comments(0)

立川談志『童謡咄』

b0068450_06302061.jpg
談志の『童謡咄』のレビユーを書いてみた。ここのブログから編集し直してみただけのことだが、一応載せておく。
b0068450_1159356.jpg



丁度今、談志の『童謡咄』の途中で、「露地」のことが出てきた。露地に鉢植えを置く風情について書いている。花のことは殆ど知らないが、「都忘れ」なんて出てくると、何それ?となる。語呂がいい。「夕顔」くらいは知っている。「朝顔」「昼顔」の「夕顔」でしょう。陽が沈んじゃったら花は開かないので、夕顔といえどまさか陽のどっぷり沈んだ夜中には咲かないでしょう。多分。知らないけれど。紫の花びらしか知らないがそれ以外にあるのだろうか。朝顔が紅色で、昼顔が黄色?そして夕顔が紫・・・なんて自然も粋なことをする。同じかたちでしょう?知らないけど。
b0068450_05042569.jpg
都忘れ

談志は「根津」に住んでて、まだ「横町の露地」があるそうだ。根津は今の文京区だと。根津にも一丁目も二丁目もある。(Google Earthで確かめた)見たところ高層マンションも結構あるが、平屋建ての方が多そうだ。「横町の露地」てどこら辺のことを言ってるのか。ズームすると確かに曲がりくねった行き止まりの露地っぽいのが見えた。
なるほど。家々が建て込んでいて、道が狭そうだ。

高層マンション住まいの「ガーデニングには地べたがない」、と談志の本に出てくる。

談志の本は脱線のしっぱなしで、本題に入るまでやや暫くかかる。彼の落語もそうだったけれど。枕だか愚痴こぼしいてるんだかわからない、長い前置きがある。

談志のに『露地の細道』という大正時代の歌が載っていて、

露地の細道 通しゃんせ
横町のお茶家へ お茶買いに
露地は夕顔 咲きかかり
斜(はす)にちょっとよけ 通りゃんせ

露地の細道 通しゃんせ
横町の酒屋へ 酒買いに
露地は夕顔 咲きかかり
斜(はす)にちょっとよけ 通りゃんせ

というのがある。

談志も都鄙つまり「都会」と「田舎」のことや、それに付随する「文明」と「自然」を対比して随分と書いている。
つまり童謡の作られた場面は、田舎であり自然だということで、
「自然と己との間を埋める方法は、つまりそれなりの解決を、『自己の力』でしていた。」「『文明の力でやるようになった』というのを較べた時、どちらかというと、『文明を使わないほうがいい』ということに、世間もこのところ気がついた。やっと気がつき、うろたえあわてている現代である」という。

「生産ということに繋げた季節感」と談志が語るなかに、「文明」の側にいる者が、何かと旨い餌に釣られてそれを味わうことで、自然と人間を繋げている。そこで談志は「季節にのせて食べる食品」や「山の紅葉を見せたりする旅行」は「金儲け」という一点に集約される。そういう「季節感」には無理がある、と指摘する。

田舎には都会人にはお目にかかれないモノやコトが一杯あって、まさに「兎追いし 彼の山 小鮒釣りし彼の川」の世界で、こんな所だから童謡も自然と出てくるわけだ。

「夕焼け、小焼の
 あかとんぼ
 負われて見たのは
 いつの日か。

 山の畑の
 桑の実を
 小籠に摘んだは
 まぼろしか。

 十五で姐やは
 嫁に行き
 お里のたよりも
 絶えはてた
 
 夕やけ小やけの
 赤とんぼ
 とまっているよ
 竿の先。」
談志は、今の若者にこれを聞かせて馴染むだろうか、となげかけている。
僕は、やっと還暦を過ぎて馴染んだというか「郷愁」がわかってきた。
もしかして「童謡」って年寄りの為のものなんじゃないかな。
作者はどう思って作ったのかしら。
やっぱり「子供」の為だろうか。それとも「年寄り」に聞かせたかっただろうか。
その中間の「若者」には縁がないのか。
この疑問、とっても大事な宿題に思える。

「負われて見たのは いつの日か。」にしたって、「小籠に摘んだは まぼろしか」にしても、「十五で姐やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた」は微妙だけれど、こんな追憶を誰がする?少なくとも「若者」以上「年寄り」未満じゃない、「年寄り」までか。
最初「負われて見た」がいまいちわかってなかった。「肩越し」に見た景色なわけで、幼児が誰かの背中に背負われて、赤とんぼを見ていたという情景だ。どう勘違いしたのかも定かでないのだが、「兎追いし 彼の山」とだぶったのかも知れない。そっちの「追う」じゃなかった。歌の流れをみればわかりそうなものだが、それさえもきにとめていなかった証拠だろう。

談志は「文明批判」をしながら童謡の在処を確かめている。でも、どこかで区切りをつけて文明を支持しているところと、批判してるところがあって、「ここまでよ」と仕分けしちゃった。それって当たっているのか、妥当性がないのか、毀誉褒貶てところだろう。

3.11で被災した地方は東北だ。畑も田圃も一杯ある「郷愁の里」だろう。そこに「文明の化け物」である原発が出来ちゃって、地震でメルトダウンしちゃった。日本は地震列島だ。それをわかっていながら、リスクは「郷愁の里」がかぶった勘定になる。「文明」が行き過ぎた、と談志は言う。限度を超してしまった。どこまでも行っちゃうのが「文明」でもある。談志だってそれはわかっていた。そう書いてる。
談志、ヘンなこと言ってる。
太陽系で一番憎まれているのが「地球」だって。何故だかわかるだろうか。他の惑星には空気もなければ、水もない。すっぴんの女性みたいで、地球のように「厚化粧」してない。一番憎いのが「人間様」だ。なんだ生意気に「文明」なんてこしらえちゃって。もっと自粛しろ。反省しろ。・・・みたいな話。
此処まで来ると、屁理屈の固まりだ。あんまりうけないギャグだ。

談志は「統一」を肯定しているようだが、「文明」を徐々に取り入れていく過程で、どうしても「ちぐはぐ」にみえる現象が現れる。一番顕著だった時代は、やっぱり「明治」だろう。頭に「ちょんまげ」のせて、洋服着ながら下駄はいて、西洋式の建物の横を闊歩し、唐傘やめて洋傘をフリフリ、葉巻なんぞくわえてお茶を飲む。鹿鳴館の洋式なけばけばしさが、最新式。一方で「阿波踊り」みたいなことをしてるかと思えば、西洋館で「社交ダンス」を踊っている。
まるで統一感がない。やっと「統一」したのは、軍国主義の日本。「統一」というより「統制」。頭からがんじがらめに凝り固まった「精神」を押しつけられた。市井の民は、お上に逆らえず「お国の為」に戦った。そういう纏まり方をしてしまった。
談志は「統一」を肯定しているようだが、今いったのとは別の意味で。

「世間の最大公約数」という章も立てている。その本題に入ったのがもうその章の終わり頃。人のこと言えないが、こう出鱈目に書かれると、読んでる方は気が楽だ。こっちも出鱈目に読み飛ばしていける。別に読み過ごしたって支障はない。気に入ったところだけマークしておけばいい。「好き嫌い」でもの言っているから、読み手も自分の「好き嫌い」でよんでていい。そういう本である。時々、どっきりしたり、びっくりしたりはする。童謡には人が出てこないそうだが、「蛙が鳴くから帰ろう」もさっき書いたが、「そうお?」と思う。「波浮の港」には夕焼けがない、というのもちょっとびっくりした。港が東むきだからだそうだ。
馬鹿馬鹿しいのも結構ある。太陽と月の話で、日本人は「月」を好んで歌などに詠み込む。反面「太陽」はぐっと少ないそうだ。こう書いている。
「(お天道様は)眩しんだよ、間抜けなんだね。第一、太陽(あいつ)は夜でてこないもんね。夜出てこいよ。暗いんだから。昼間明るいところに出てくるなよ・・・ネェ。」て。
昼間は太陽が出てるから明るいんだろう。誰が照らしてると思ってるのかね・・・と、ツッコミたくなる。それを「昼間明るいところに出てくるなよ」はおそれいった。
こんなのと、好き嫌いと、うけないギャグと、余計な蘊蓄とが混ざり合って出来ている、と言っても過言じゃない。それでもフォローすると、結構イイ事書いてる部分もあるから侮れない。でも、彼の「文明論」はどうかな。

これを御用達のレビユーサイトに投稿したら、「イイネ」が二つきり。こういうのに「イイネ」をくれないのは寂しい。しょって言う訳じゃないが、こういうことではこのサイトのレベルが多寡が知れるね。
by jamal2 | 2016-11-06 12:08 | | Comments(0)

落語の世界「シリアス篇」

 
b0068450_14500957.jpg
 今回は「シリアス篇」として、場の雰囲気としては、笑いの少ない聞いていて身のつまされる思いがする内容の噺を取り上げたい。笑いが全くないかといえば、噺家の話芸ひとつでそこに擽るような笑いがないとは言えないが、大筋としては深刻な流れを持った噺であり、話者としても笑いを聞き手に求めているとは言い難い。その代表例のひとつとして「芝浜」を取り上げたい。

 魚屋で魚熊という男がいた。天秤棒に飯台と桶を担いで魚を売って歩く商売をしている。包丁裁きも見事なうえに魚が旨いときてる。自然贔屓が出来て評判が大変良かった。ところが、熊さん大変酒が好き。のべつ幕なし飲んでいたい方。仕事は朝が早い。芝の浜にも魚河岸があって、仕事が片づくと中休みに昼飯の前にもう一杯飲み始める。それが一杯で済まなくなり、段々酒の量が増えていく。その間に飯台の魚が陽に照らされて活きがさがってしまう。それにも構わずその魚を売るようになって得意先を段々失っていき、ヤケになってまた酒に走ることになる。仕舞いに女将さんが貯めた元まで失う始末。こうなると昼間っから飲んで暮らすような羽目になってしまった。

 暮れも押し迫った頃、起きて商売に出したい女房と寝てばかりいる熊との間で押し問答を繰り返す。やっとのことで出掛ける算段をして早朝の暗い中を河岸に向かっていった。

ところが、間もなく慌てふためいて長屋に帰ってきて、話すことには・・・

 という出だしから入る噺だが、噺家によってどこから入っていくかは千差万別。幾つか聞いたなかでは、一番端折って噺に入って、それでいながら後に続く顛末の細かい描写でうならせたのが、立川談志であった。得意と自慢するだけあって、描写の細やかさばかりではなく、噺のもっていきようが凄まじいの一言。唸らせるだけ唸らせて、サゲに来てあっさり落とす。それが妙に納得させる話芸に吃驚を通り越して感嘆の声も出ない。一時間を超す長大スペクトラムとなっているが、試しに聞いて貰いたい。聞いただけのことはあると請け負う。

 談志の出囃子は「木賊刈」(とくさがり)。 歌舞伎舞踊の一。長唄。七変化の一。本名題「姿花龝七種(すがたのはなあきのななくさ)」。初世杵屋正次郎作曲。1797年江戸都座初演。能の「木賊」に想を得たもの。 出囃子については、回を改めて取り上げようと思う。

 いかがか。クライマックスに来て女房がうち明け話をするあたりは、談志に女房が乗りうつった感がある。初めて聴こうととした時には、枕のだらだらがあって、あ、また始まったと思って、後を聞かず仕舞いにしてしまったが、改めて聞いてみる迫力にかなり驚いてしまった。談志の実力というものを初めて実感した気がする。

聞き較べで志ん生のをもうひとつ。

出囃子は 一丁入り 。この囃子が好きで志ん生が出る度に何故か嬉しくなる。

by jamal2 | 2016-11-04 17:20 | 落語 | Comments(0)

「三丁目の夕日」と「横町の露地」

b0068450_02553474.jpg
 本を読んでると「連想」がとまらない。うるさいくらい浮かんでくる。だからこの頃無視することにしている。いちいち思いついて、それでやめればいいのに、何だか引っ張り出してくる。これが困りものである。
で、何故だか一番多いのが「三丁目の夕日」という映画のこと。何故なのか不思議でならない。何かがきっとつまってるのだろう。それを今回確かめてやろうと性懲りもなく見出す羽目になる。もう何度も見たから見なくてもわかりそうなものだけれど、また観てしまう。誰か好きな女優や男優がいるの?・・・心当たりはある。それはこの際伏せておく。(別に伏せなくてもいいのに)
丁度今、談志の『童謡咄』の途中で、「露地」のことが出てきた。露地に鉢植えを置く風情について書いている。花のことは殆ど知らないが、「都忘れ」なんて出てくると、何それ?となる。語呂がいい。「夕顔」くらいは知っている。「朝顔」「昼顔」の「夕顔」でしょう。陽が沈んじゃったら花は開かないので、夕顔といえどまさか陽のどっぷり沈んだ夜中には咲かないでしょう。多分。知らないけれど。紫の花びらしか知らないがそれ以外にあるのだろうか。朝顔が紅色で、昼顔が黄色?そして夕顔が紫・・・なんて自然も粋なことをする。同じかたちでしょう?知らないけど。
「都忘れ」の由来がわかった。

「鎌倉時代の西暦1221年、 承久の乱に敗れて 佐渡へ遠流となった順徳帝は、 草でぼうぼうになった佐渡の庭に 一茎の野菊が 紫色に咲いているのを見つけ、 「紫といえば京の都を代表する  美しい色だったが、  私はすべてをあきらめている。  花よ、いつまでも私のそばで  咲いていておくれ。  都のことが  忘れられるかもしれない。  お前の名を今日から  都忘れ と呼ぶことにしよう」 と、傷心のなぐさめにした、 という説話がある。 花の名はここからきたようだ。 また、京を去るときに この花を目にとめ、 「都を忘れることにしよう」 といったことから この名前になったとの説もある。」

だそうで、勉強になるな。

 それで「露地」といえば下町だ。「三丁目の夕日」というが、どこの三丁目だか、知らない方がいいかも知れない。台詞のなかには出てこなかったと思うが。そこら辺あまり気にしてなかった。そういう無頓着でいられる映画だとも言える。
談志は「根津」に住んでて、まだ「横町の露地」があるそうだ。根津は今の文京区だと。根津にも一丁目も二丁目もある。(Google Earthで確かめた)見たところ高層マンションも結構あるが、平屋建ての方が多そうだ。「横町の露地」てどこら辺のことを言ってるのか。ズームすると確かに曲がりくねった行き止まりの露地っぽいのが見えた。
なるほど。家々が建て込んでいて、道が狭そうだ。

 で、どこだかわからない「三丁目」なのだが、テレビが我が家にとか、それもカラーが登場するところをみると、東京オリンピックの頃だ。そんなシーンもあった。西暦で言うと1964年あたり、僕が9歳だから昭和でいうと39年?「三種の神器」なんて言葉が流行った頃。テレビに洗濯機にあと何だ?あ、冷蔵庫。テレビを初めて観たのは、4歳で近所のテレビのある家にお邪魔して観たおぼえがある。街頭テレビなんて時代。その頃住んでいたのが田舎だったからテレビ持ってる家はその一軒だけだったと思う。
感電事故で片腕なくした伯父さんの家だった。僕の父は電力会社で変電所をつくることになって転勤してきた。釧路駅に降り立った時、会社のジープが迎えに来てた。夜道を走る田舎道。談志の本でも夜の暗がりが怖かった話が出てくる。ちょっと僕とは時代の違う話だけど。夜は怖いけれど、楽しみもあった。それは「夜這い」のこと。
清純無垢な僕の耳には届かなかったことだ。そういえば、「夜這い」の落語噺があった。何だっけ?(ほら、また連想が始まった)こうなると調べなきゃ気が済まない。
あった、「口入れ屋」だ。口入れ屋とは、今のハローワーク。そこで紹介された美女。今までのは、へちゃむくればかりだったから使用人が喜んで、しまいに「夜這い」をしかけた。ところがどっこい、二階に上がる階段の支え棒が外れてきたんじゃなかったかな?ばれないように必死でそれを支えていると、同じ狢が現れて二人して頑張っているのを女将さんだかに見つかって、何とか言ったサゲは忘れた。

 何の話をしてたのだったか。そうか、「横町の露地」のことだ。「三丁目」も露地と言えば露地か。自動車修理工場の並びに駄菓子屋があって、工場の向かいは?あれ?
これは観なくちゃ。(結局こうなる)ああ、向かいが駄菓子屋だ。「六ちゃん」が経歴詐称だと疑われて、怒りに狂った「鈴木オート」の社長から逃げて飛び込んだのが駄菓子屋だ。勘違い。小雪のやってた小さな酒場はどこら辺?淳之介をひきとって「文学」が駄菓子屋まで帰る道のりが出てたが見当がつかない。まあ、近所だろう。「鈴木オート」や「茶川」が通っていたんだからそんな遠くじゃない。電車通りの近くに酒屋も見えた。
しかし、茶川龍之介だとか、淳之介とか、良くもつけたものだ。洒落てるのか、ふざけてるのか。

 高層マンション住まいの「ガーデニングには地べたがない」、と談志の本に出てくる。下町の露地ならではの話だ。確かに。僕らの頃でも大きな通りは舗装されていたが、家の近所の細道にはまだなかった。埃っぽいけれど、走り廻る足には優しかった。でも、鉢植えを地べたに置くほど狭苦しくなかった。一応庭があってそこに色んな花が植えてあった。一時、花畑の間に蛇がとぐろを巻いてるのを発見して、飛び上がった。でも、死んでたけれど。近所を通りかかった伯父さんがどれどれと掴んで振り回した時には肝が冷えた。そんな伯父さんが通りかかるほど長閑だったのだろう。蛇位は今でもいるけれど。
西野という所に住んで居たとき、ヤモリだかタモリ(それはないか)が玄関先にいたことがあったけれど、後で何だかだと教えて貰ったが忘れた。盤渓の山も近いしいても可笑しくない。

 そうか、本題は「三丁目の夕日」を連想するのは何故かということであった。
談志の本もこんな感じで脱線のしっぱなし。本題に入るまでやや暫くかかる。彼の落語もそうだったけれど。枕だか愚痴こぼしてるんだかわからない、長い前置きがある。
また逸れた。「三丁目の夕日」、「三丁目の夕日」。
談志のに『露地の細道』という大正時代の歌が載っていて、

露地の細道 通しゃんせ
横町のお茶家へ お茶買いに
露地は夕顔 咲きかかり
斜(はす)にちょっとよけ 通りゃんせ

露地の細道 通しゃんせ
横町の酒屋へ 酒買いに
露地は夕顔 咲きかかり
斜(はす)にちょっとよけ 通りゃんせ

 というのがある。何かいいでしょう。
近所にお茶屋があったり、酒屋があったりと、今でもないことはないが、大抵コンビニか大型スーパーでそれらを買うようになった。
また脱線になるかも知れないが、Charと坂崎幸之助のギター対談で、近所にあった「米屋」とか「酒屋」でしか買えなかったのが、今やスーパーで買うようになったという話だった。ついでのことになるが、その話のなかでクリーニング屋でレコードを売ってた所があったと。色んなものが雑居してる店が確かにあった。文房具屋に駄菓子があったりプラモデルを置いてたりしていた。小学校のすぐ真向かいにあった文房具屋。そこで「くじ」ひいて、当たりすぎて困ったことがあった。家に帰って弁解するのが面倒だった。そういうことすんじゃないって言われてたから。何か駄菓子屋みたいなのに偏見があったようだ。ピストルのオモチャも絶対買ってくれなかった。もしくじでそれが当たったらどうしたのか。

 そう、だから「三丁目の夕日」でも駄菓子屋でくじひいて、今度こそ一等賞をねらったけれど、やっぱり「スカ」で、ヤケになった「鈴木オート」の倅の一平等が「スカばっか、スカばっか」と囃し立てるシーンがあるが、子供にとっての一種のギャンブルだったわけだが、かといって大人感覚ではない。

 タバコ屋もあったな。そこのおばあちゃんが自転車乗り回して、ブレーキ効かないのに露地をすっ飛ばしてきて危うい場面で、「サイクリングは今流行のレジャー」ていう台詞がある。そうだったかも知れないが、乗っていた自転車。黒塗りの大型の奴で、子供も「三角乗り」という技をおぼえて乗っていた。子供専用の品物がない時代のことを談志が書いているが、なきゃないなりにやってた時代が、僕の子供時代にもまだあった。お兄ちゃんは持ってるけれど、弟の僕にはまだなくてサドルの高さがあわずに足をなんとか突っ張ってつま先立ちでペダルを漕いだおぼえがある。兄のは何段式だったか変則式が羨ましくて、乗ってるところをみつかったら只では済まないから、こっそり使わして貰っていた。そこら辺が次男坊の「宿命」だ。

 六ちゃんは「集団就職」で「鈴木オート」に就職したが、中卒で蒸気機関車に乗って、迎えに来た「鈴木オート」はオート三輪で、というあの時代丸出しだが、蒸気機関車やオート三輪までは僕の守備範囲だけれど、集団就職は聞いたことがない。一応「都会」だったからか。
談志も都鄙つまり「都会」と「田舎」のことや、それに付随する「文明」と「自然」を対比して随分と書いている。
つまり童謡の作られた場面は、田舎であり自然だということで、
「自然と己との間を埋める方法は、つまりそれなりの解決を、『自己の力』でしていた。」「『文明の力でやるようになった』というのを較べた時、どちらかというと、『文明を使わないほうがいい』ということに、世間もこのところ気がついた。やっと気がつき、うろたえあわてている現代である」という。
「観光スポット」だの「ご当地料理に舌鼓」などは嫌いだと前にも書いたが、「生産ということに繋げた季節感」と談志が語るなかに、「文明」の側にいる者が、何かと旨い餌に釣られてそれを味わうことで、自然と人間を繋げている。そこで談志は「季節にのせて食べる食品」や「山の紅葉を見せたりする旅行」は「金儲け」という一点に集約される。そういう「季節感」には無理がある、と指摘する。
僕の住んでいる北海道にも都鄙があって、道東の小さな町に暮らしていた頃は、周りは自然だらけ。隣の釧路という一応都会でも、札幌に較べれば無いものだらけで、最初の頃はそれが不満の種だったが、考え方を変えれば「ない」けど「ある」ことに興味を持てば、こんな良いところはないと思ったものだ。
カヌーだって出来る、露天風呂はいっぱいある、森に入れば鹿もリスも狐も熊だっている自然がすぐそこに「ある」にに気がつくと、やめられなくなる。熊はさすがに怖いけれど。息子の友達のお母さんがキノコ取りに行って熊に食われて亡くなったことがあった。ウチからそんなに離れていない川沿いの原野で。現場を見た人はその凄惨さに身震いしたそうだ。そこは熊のテリトリーだったらしい。自然の影響で森深くいた筈の熊が、そこでは食べ物が育たなくなって人里に出てきてしまったからだ。
熊だって生き物、食べなきゃ生きていけない。そういう人間との衝突が普通にあるのが「田舎」だ。
リスクといえばリスクかもしれないが、そこに住んでいる人間は、そういうことから「学習」せざるをえない。せざるをえないではなく、そうすることが当然のことで、都会人には到底実感のわかないことだろう。
自然のなかで「金儲け」がないわけじゃない。冬になって湖の水が凍ったら、「公魚(ワカサギ)釣り」に行ったけれど、正月を挟んで解禁日があって、その前だったら金はかからないが、解禁日が過ぎると料金所で使用料を払わなきゃならない。露天風呂だって無料で入れる所もあれば、やっぱり払わなければならない所が一杯ある。
羅臼という所に「熊ノ湯」というのがあって、知床横断道路の入り口の傍にある。そこは道路から丸見えだがタダ。男ならいいが流石に女性風呂は塀があって視界を遮断してある。余談だが、「菅野温泉」という内陸の湯治宿を兼ねたところがあって、「混浴」になっている。やったぁーと思ったが、そうは問屋がおろさない。入ってみたらBABAばかりだった。なんだ。
ついでに話すと、その温泉に行った帰りの車中、急に何だかムカムカしてきて妻にいきなりビンタをはった。そうしたら向こうも負けてない。はり返してきてビンタの応酬となった。何故だったのか未だにわからない。新婚当初で喧嘩らしい喧嘩もしてなかった。振り返ってみるとそれは「喧嘩」でもなかった。ただ無性にそんな行動に出ただけのこと。謎だ。

 話を戻すと、都会人にはお目にかかれないモノやコトが一杯あって、まさに「兎追いし 彼の山 小鮒釣りし彼の川」の世界で、こんな所だから童謡も自然と出てくるわけだ。
話が飛ぶが、「夕焼けこやけで 陽が暮れて (中略)烏と一緒に 帰りましょう」と「蛙が鳴くからかえろう」があって、烏で言うと幼児体験で祖父の家に預けられて、外で一杯遊んで夕方になると、いつも赤土の坂のうえから石切人夫が降りてくる頃、丁度その頃になると烏が電線にずらっと並んでいて、坂の向こうに夕日が燃えていた。烏がその後どうなったかは知らなかった。もう夕ご飯時だったから。烏が山に帰って巣に入るなんて思いもつかない。
蛙の方はというと、夕方しか鳴かない?とふと思った。そんなことないでしょう、というのが僕の「常識」だけれど果たして。
「YAHOOの知恵袋」にこんなアンサーがあった。
「夜行性とか害敵防衛とかのご回答がありまして、なるほどそういう食虫や食肉の蛙さんもいるでしょうし、防衛しなければならない環境・条件にお住まいの蛙さんもいるでしょう。でも蛙さんの種類の違いかも知れないけれども、私ども隅田川、荒川近辺の住宅密集地域の蛙さんは昼間もないておりまして、家内とまぁいつまで伴侶が見つからないのかしら、と、いつも心配しております。
 違う個体かもしれませんね。確かに人がざわざわいくと鳴きき止みますが、鳥(鳩、目白、雀、ひよどり)では別に問題にしてないみたいです。カラスならわかりませんね。
 もうここは65年前の昔の自然はなくて、夜はクツワムシ、口の先のグリーンの大きな体の蛙さんは、水面に浮かんで、夜は鳴いていました。ときには人が動かなければ、昼間も鳴いていました。これは食肉でしておなかにはまるごと大きなえびがにが入っていました。主には夜でしtが、昼間も枝が水面に垂れ下がっているところでは鳴いていました。
 夜だけではないという記憶が、鮮やかに小学校1,2年の時からの記憶ですが。蛙さんの種類かも知れませんね。そして状況や環境のせいではないでしょうか。 」

 これ面白いアンサーだと思った。外敵から身を守る為、というのはわかる気がするがやっぱり昼間でも鳴いていた筈だ。記憶に鮮明なのは、名古屋にいたとき(学生だった)隼人池というのがあって一区画分の大きさで、そこにウシガエル(食用蛙ともいう)生息していた。日中は学校にいたから知らなかったけれど、夕方から夜にかけてたまに用があって通りかかると、独特の牛みたいな鳴き方で蛙どうし合唱していた。その蛙が朝方に傍を走っている道路で車に轢かれてペシャンコになっているのをよく見かけた。ガタイが大きいから、その潰れ方もダイナミックだ。そんなの北海道じゃ見られない。鹿が道路を横断して車にぶつかるのは始終だったが、手を挙げて渡ればいいのに・・・。
 それにしても志ん生ので聞いた「二階ぞめき」で、吉原の傍には田圃が広がっていた頃の噺だが、蛙が人間の真似して吉原に繰り込むところは可笑しくて、何度も聞いた。
 田圃の蛙の声も聞いたことがない。札幌あたりでは石狩方面に確かあったと思う。妻の高校時代の友達の旦那とも親しくしたが、彼は花畔(ばんなぐろ)の出身でやっぱり石狩にあたる。今石狩は札幌市から独立して石狩市になった。ベッドタウンがそこまで広がったということだが、花畔で育ったその旦那に、厚田の別荘で「子供の頃、蜻蛉とりしたよね」と当たり前のように聞いたら、「そんな長閑なことしたことない」と返された。何故かというと実家が農家で田圃で稲造りをしてたので、子供の時から手伝わされていたからだ。なんか突き放された感があった。そうか、子供だった僕は都会の片隅のまだ雑草があたり一面生えてた祖父の家の近辺で佃煮にするほど赤とんぼが飛んでいた記憶を持っているのに反して、旦那の実家は市内とはいえ更に中心街か遠い所で育って、田植えや稲刈りを手伝って過ごした少年期だったわけで、そのギャップに一瞬声を失った気がした。「自然」が濃いのは寧ろ市の中心により近い方だったという皮肉なことだ。虫取りさえも縁の薄かった田舎育ちだなんて。
「夕焼け、小焼の
 あかとんぼ
 負われて見たのは
 いつの日か。

 山の畑の
 桑の実を
 小籠に摘んだは
 まぼろしか。

 十五で姐やは
 嫁に行き
 お里のたよりも
 絶えはてた
 
 夕やけ小やけの
 赤とんぼ
 とまっているよ
 竿の先。」
談志は、今の若者にこれを聞かせて馴染むだろうか、となげかけている。
僕は、やっと還暦を過ぎて馴染んだというか「郷愁」がわかってきた。
もしかして「童謡」って年寄りの為のものなんじゃないかな。
作者はどう思って作ったのかしら。
やっぱり「子供」の為だろうか。それとも「年寄り」に聞かせたかっただろうか。
その中間の「若者」には縁がないのか。
この疑問、とっても大事な宿題に思える。
子供には童謡の歌詞が伝わらない。若者は都会に出たがり別の刺激を求める。そしてやっと「老人」になって目覚める。
是れ案外正解かも知れない。
「負われて見たのは いつの日か。」にしたって、「小籠に摘んだは まぼろしか」にしても、「十五で姐やは 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた」は微妙だけれど、こんな追憶を誰がする?少なくとも「若者」以上「年寄り」未満じゃない、「年寄り」までか。
最初「負われて見た」がいまいちわかってなかった。「肩越し」に見た景色なわけで、幼児が誰かの背中に背負われて、赤とんぼを見ていたという情景だ。どう勘違いしたのかも定かでないのだが、「兎追いし 彼の山」とだぶったのかも知れない。そっちの「追う」じゃなかった。歌の流れをみればわかりそうなものだが、それさえもきにとめていなかった証拠だろう。

「三丁目の夕日」となかなか繋がっていかない。
この映画のなかでは、「文明の利器」が家庭に徐々に入り込んできている。さすがに六ちゃんが食べて食あたりをしたシュークリームを保管してたのは旧拵えの冷蔵庫。なかを冷やすのに、氷屋が運んでくる長四角のおおきな氷の固まり。それを上の段に詰めて使う。
談志は「文明批判」をしながら童謡の在処を確かめている。でも、どこかで区切りをつけて文明を支持してるところと、批判してるところがあって、「ここまでよ」と仕分けしちゃった。それって当たっているのか、妥当性がないのか、毀誉褒貶てところだろう。
3.11で被災した地方は東北だ。畑も田圃も一杯ある「郷愁の里」だろう。そこに「文明の化け物」である原発が出来ちゃって、地震でメルトダウンしちゃった。日本は地震列島だ。それをわかっていながら、リスクは「郷愁の里」がかぶった勘定になる。「文明」が行き過ぎた、と談志は言う。限度を超してしまった。どこまでも行っちゃうのが「文明」でもある。談志だってそれはわかっていた。そう書いてる。
 談志、ヘンなこと言ってる。
太陽系で一番憎まれているのが「地球」だって。何故だかわかるだろうか。他の惑星には空気もなければ、水もない。すっぴんの女性みたいで、地球のように「厚化粧」してない。一番憎いのが「人間様」だ。なんだ生意気に「文明」なんてこしらえちゃって。もっと自粛しろ。反省しろ。・・・みたいな話。
此処まで来ると、屁理屈の固まりだ。あんまりうけないギャグだ。

「三丁目の夕日」に戻ると、さっき言った六ちゃん食あたり事件を起こす前に、奥さんとシュークリームの腐り加減のことで押し問答してる。その場面で妙なものを発見。「ハエ」が飛んできたのだ。この時代だからハエなんてうじゃうじゃいた。そこまで気配りして作っているのには感心した。(ヘンなところに感心してる)
コトほど左様に、時代背景を緻密に描き出している作品だ。「文明の利器」が取り入れ始めたこと、それなのに「ハエ」が飛んでいる現状、街並みはディテールに凝ってよくぞというところまで作り込んでいる。一平が昼寝している畳の部屋で布団の横に扇風機が回っている。「畳」「布団」に対する「扇風機」。これヘンと思うか、「別に」と思うか。和式と様式が混在しているとみたら、これぞ日本!と言うべきか。神社と仏教の寺が混合してるのを「神仏習合」という。神社は和モノ、仏教は中国を経て伝来した漢モノ。「カミ」と「仏」が仲良く鎮座しているのが日本の姿の象徴。
だから畳と布団に扇風機でもおかしくない。「和洋折衷」もやってるのも日本。
西洋人からみたら、「なんじゃそれ」という。でもワザと欧米でも飾りに和モノを取り入れて「お洒落」を楽しんでいる。結構昔からそうだったようだ。
 洋式の部屋に「襖」を置いてたりする。フランスを舞台にした映画によくそんな場面が登場する。あのココ・シャネルの白と黒のコントラストを好んだ趣味のなかに、確か「襖」が出てきた。
でも、それとこれとは別次元だとは思う。「文明」を徐々に取り入れていく過程で、どうしても「ちぐはぐ」にみえる現象が現れる。一番顕著だった時代は、やっぱり「明治」だろう。頭に「ちょんまげ」のせて、洋服着ながら下駄はいて、西洋式の建物の横を闊歩し、唐傘やめて洋傘をフリフリ、葉巻なんぞくわえてお茶を飲む。鹿鳴館の様式なけばけばしさが、最新式。一方で「阿波踊り」みたいなことをしてるかと思えば、西洋館で「社交ダンス」を踊っている。
まるで統一感がない。やっと「統一」したのは、軍国主義の日本。「統一」というより「統制」。頭からがんじがらめに凝り固まった「精神」を押しつけられた。市井の民は、お上に逆らえず「お国の為」に戦った。そういう纏まり方をしてしまった。
談志は「統一」を肯定しているようだが、今いったのとは別の意味で。
「世間の最大公約数」という章も立てている。その本題に入ったのがもうその章の終わり頃。人のこと言えないが、こう出鱈目に書かれると、読んでる方は気が楽だ。こっちも出鱈目に読み飛ばしていける。別に読み過ごしたって支障はない。気に入ったところだけマークしておけばいい。「好き嫌い」でもの言っているから、読み手も自分の「好き嫌い」でよんでていい。そういう本である。時々、どっきりしたり、びっくりしたりはする。前回?だかに、童謡には人が出てこないもそうだが、「蛙が鳴くから帰ろう」もさっき書いたが、「そうお?」と思う。「波浮の港」には夕焼けがない、というのもちょっとびっくりした。港が東むきだからだそうだ。
馬鹿馬鹿しいのも結構ある。太陽と月の話で、日本人は「月」を好んで歌などに詠み込む。反面「太陽」はぐっと少ないそうだ。こう書いている。
「(お天道様は)眩しんだよ、間抜けなんだね。第一、太陽(あいつ)は夜でてこないもんね。夜出てこいよ。暗いんだから。昼間明るいところに出てくるなよ・・・ネェ。」て。
昼間は太陽が出てるから明るいんだろう。誰が照らしてると思ってるのかね・・・と、ツッコミたくなる。それを「昼間明るいところに出てくるなよ」はおそれいった。
こんなのと、好き嫌いと、うけないギャグと、余計な蘊蓄とが混ざり合って出来ている、と言っても過言じゃない。それでもフォローすると、結構イイ事書いてる部分もあるから侮れない。でも、彼の「文明論」はどうかな。

 さあ、ここらで締めなくちゃならない。
でもやっぱり「連想」が働きすぎてキリが付けづらい。「過ぎたるは、及ばざるが如し」というじゃないか。「便所の百ワット」みたいな、無駄が多い。
談志を持ち出すのはこれっきりにしておかないと、ケリがつけられない。今読んでるから仕方ないとして。談志のペースにはまったような感じ。
落語家に「教養」は必要か否か。さっきの「集団就職」の話じゃないが、昔は貧乏な家庭の子は上の学校に行けなかったと言い出して、低学歴で商いに出されたのが多かったと。落語家仲間でもそんなのがいる。小学校中退・・・とは言わなかったけど、精々小学校止まりで、噺家の師匠の門をくぐった例を出してたが、「てめぇだって、高校中退じゃないか」
でもこの人、結構色んなことを知ってて、「蘊蓄のかたまり」みたいなところがある。だけれどどこか抜けきらないところがあるような気がする。やっぱり、昭和11年(丁度、二・二六事件のあった年だ)生まれて感じが抜けきらない。「お上」に楯突くタイプに見えて、案外従順だったりする。「常識破り」に感じるところもあれば、世間の「常識」に従っている面もある。そこから出てくる発想が「月並み」だったりして、「あれ?」と思うことが多々ありそうだ。
僕のことを言わせて貰うと、「最大公約数的」なことが大嫌いで、みんなが欲しがったり、好むことから避けようとする習性があるようだ。こういうのを「へそ曲がり」というのだろうけど、何故なんだかね。

 駄目だ、もう「三丁目の夕日」に戻れない。またの機会にこの「謎」に迫ってみたい。(ホントかよ)



 


by jamal2 | 2016-10-22 01:11 | 文化 | Comments(0)

本、ジャズ、映画・落語・プラモデル・・・ディレッタントな日々


by jamal
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る